2022.7.26 諺集に見るわが人生(106)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「賀茂川の水」平安後期、堀河天皇の即位のときから上皇(1086)、のちに出家して法皇となり、強大な権力をふるった白河法皇(白河院)。
そんな白河法皇にも悩み事はあったようで、それが三不如意で、『平家物語』の第一巻に白河法皇が嘆いた以下の言葉が伝わっている「『賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我が御心に叶はぬ物』と、白河の院も仰せなりけるとかや」とある。
「賀茂川の水」とは、現在の鴨川のことで、古来よりこの川は氾濫を繰り返し、法皇にも天災を抑えることはできなかった。
また、「双六の賽」とは、サイコロが出す目のことで、これも確率の問題ですからどうしようもなかった。
さて、最後の「山法師」とは比叡山の僧兵のこと指す。
現代でも意のままにならないのはサイコロが出す目ぐらいである。このようにことわざは時代を反映するもので、現在を生きるものには必ずしも通じないものもある。
「可も無く不可も無し」言語や行動が中道・適切であること。また、長所も欠点もなく、ごく平凡であること。現在は後者の意味で使われることが多い。前者は孔子が自分の処世の仕方について言った言葉。昔から、世を離れて隠れ棲んだ賢人七名について解説している『論語』微子篇8章で孔子は『我則異於是(我は則(すなわ)ち是(これ)に異なりて』私の場合は、彼等とは異なる。『無可無不可(可もなく不可も無し)』至って平凡な人間だ。と述べている。
このことわざなどはよく使われるが、中身を知って見ると、孔子の言っている意味とは大きな格差を感じる。何故なら賢人七名「①伯夷(ハクイ)・②叔斉(シュクセイ)・③柳下恵(リュウカケイ)・④少連(ショウレン)・⑤虞仲(グチュウ)・⑥夷逸(イイツ)・⑦朱張(シュチョウ)」と比べた上での自己評価のようなもので、レベルが違い過ぎて、いくら後者の意味だと言っても、うかつには使えないことわざだ。 次回に続く。
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