日常細事2022pre


kiji


2022.8.20 諺集に見るわが人生(113)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「考える葦」人間は一本の葦のようだが、考える能力を持っている。パスカルの遺稿集「パンセ」の中の言葉。「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない,だがそれは考える葦である」として,自然において脆弱ぜいじやくだが思考する存在としての人間の本質を表現したもの。ブレーズ・パスカル(1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家である。
 葦とは、弱い木で、少しの風でもしなってしまう。さらに他の木と比べると強度も低い。しかし、強い木でもある。葦は少しの風でもしなるかわりに台風でもその風に身を任せ、しなってやり過ごす。このことから、流れに身を任せる賢い木と言える。つまり、「人は考える葦」とは葦のように弱いがそれと同時に賢く考えることができる存在という意味になった。
 「侃侃諤諤(かんかん-がくがく)」ひるまず述べて盛んに議論をするさま。議論の盛んなことの形容。また、はばかることなく直言するさま。▽「侃侃」は強くまっすぐなさま。剛直なさま。「諤諤」は、はばかることなくありのままを正しく直言するさま。「侃諤」ともいう。出典「侃侃」は『論語』郷党、「諤諤」は『史記』商君伝。侃々諤々の例文としては、「議論は紛糾し侃々諤々の様相を呈した」などの使い方がある。大勢で様々な声を上げているものの、まとまりがないさまを表すのによく使われる。また、「対立した陣営から侃々諤々の意見が交わされた」など、意見の対立と騒がしさを強調する際にも用いられる。侃々諤々が騒がしいながらも前向きな議論のさまを表すのに対し、「喧々囂々(けんけんごうごう)」はただ騒がしいだけのさまを表すため、使い分けに注意が必要である。
 日本の国会での野党との質疑応答は「侃侃諤諤」なのか「喧喧囂囂」なのか。『総理!総理!』と叫ぶ声が再び議場に響き渡るのだろうか。 次回に続く。


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