2022.8.24 諺集に見るわが人生(114)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「眼光紙背に徹す」「眼光」とは、物をじっと見るときの目の光のこと。「徹する」とは、貫いて奥深く達すること。
目の光が紙の裏側まで見通すほど書物に書いてあることを、表面だけでなく真意まで理解することのたとえ。読解力に長けていること。
「眼光紙背に徹する」「眼光紙背に徹る」「眼紙背に透る」ともいう。
[由来] 江戸時代末期の儒学者、塩谷宕陰(しおのやとういん)の文章、「安井仲平へいの東遊するを送る序」の一節から。安井仲平(号は息軒けん)の才能について、「書を読むに眼は紙背に透る(読書するときには、書かれている紙の裏まで見通す)」から。
このHPの「禅の研究」などに出てくる「原文」には難解なものが多く、その文を研究者の脚注などを読まないと内容が理解できない。そうした研究者は「原文」の裏にあるものを見通している。つまり紙背に徹しているのだろう。往々にして研究者によっては意見の違いが見られるのも面白い。
「函谷関の鶏鳴(かんこくかんのけいめい)」《「史記」孟嘗君(もうしょうくん)伝から》斉の孟嘗君が秦から逃れて函谷関まで来たとき、鶏鳴まで開かない規則の門を、鶏の鳴きまねがうまい者の働きによって開けさせて無事通過することができたという故事。とっさの機転や言動によって、難を逃れたり問題を解決したりすることのたとえ。
このことわざは『箱根八里』作詞:鳥居忱、作曲:瀧 廉太郎の一節「箱根の山は 天下の嶮 函谷關も ものならず」と小学唱歌に思い出がある。随分と難しい歌詞が入っていたのだと今にして思う。なお箱根馬子唄「箱根八里」は「 8.12 諺集に見るわが人生(111)」でも使われている。 次回に続く。
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