2022.9.21 諺集に見るわが人生(122)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「歓楽極まりて哀情多し(かんらくきわまりてあいじょうおおし)」楽しみや喜びの感情が最高潮に達すると、かえって悲しい気持ちになるものだ、ということ。
[由来] 紀元前二~一世紀の中国、前漢王朝の皇帝、武帝が、船遊びをしながら作った「秋風ふうの辞」という文章の結びの一節から。「歓楽極まりて哀情多し(楽しみが最高潮に達すると、ふと悲しみが湧いてくるものだ)」のあと、「少壮幾いく時ときぞ、老いを奈何(いかん)せん(若くて元気な時期はいつまでも続きはしない。老いがやってくるのはどうしようもない)」とうたっている。
特に後段の件は、どんな時代にも通用する「老い」の悲哀である。
この武帝の「秋風辞」書き下ろし全文を次に掲載しておく。
秋風起こって白雲飛ぶ
草木(そうもく)黃落(こうらく)して雁(かり)南に帰る
蘭に秀(はな)有り菊に芳(かんば)しき有り
佳人を懐(おも)いて忘るる能(あた)わず
楼船を汎(うか)べて汾河(ふんが)を済(わた)り
中流に横たわりて素波(そは)を揚(あ)ぐ
簫鼓(しょうこ)鳴りて棹歌(とうか)発す
歓楽極まりて哀情多し
少壮幾時(いくとき)ぞ老いを奈何(いかん)せん
昔の武人の教養の高さが伝わってくる詩である。
「眼裏に塵あって三界窄し(がんりにちりあってさんがいすぼし) 」
心に少しでも迷いがあると、物事を正確に判断することが出来ないたとえで、小さなゴミでも目の中にはいると、視界がぼやけてしまう意味から。「三界」仏教語で、全世界の意味。「窄し」すぼんで細い。
出典 謡曲・清経(1430頃)「眼裏に塵あって三界窄く、心頭無事にして一床寛
し」こういう過ちは誰でもどこかで犯してきたことだろう。
「閑話休題(かんわきゅうだい)」本筋からそれて語られていた話やむだ話をやめにすること。また、話をもとに戻すときに用いて、さて、それはさておき、などの意を表す。主に文章の中で用いる。「閑話」は、むだ話。「休題」は、話をやめる。「閑」は、「間」とも書く。出典の「且間話を把りて休題す、只、正語を説くのみ」による。ということで、次回は「か行」の「き」に続く。
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