2022.9.24 諺集に見るわが人生(123)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「聞いて極楽見て地獄」人づてに聞いているうちはあこがれていたことが、実際に見てみると、まるで地獄のようにひどいものである。実際に見たり経験したりして、それまで聞きかじっていたことがとんでもないまちがいだった場合にいう。このことわざの由来は、江戸いろはかるたから。
「類義語」聞いて千金見て一毛・見ての極楽住んでの地獄・見ると聞くとは大違い。
だいたい儲け話に乗っかると、後で酷い苦労をすることになるような事例が多くある。
「気韻生動( きいんせいどう)」芸術作品に気高い風格や気品、また、生き生きとした生命感が溢れていることを意味する。 この言葉は岡倉天心が画家に対して求めた境地とされる一方、それは努力で到達できるものではなく、芸術家が生まれながらに持っているもの、とも言われている。天才が天職としてなせる業なのだろう。
(定義)中国絵画の品評基準の一。気韻が躍如としているさまをいい,文人画でことに重視された。張彦遠はこれを執筆中の画境の生命性の反映とし,郭若虚は画家の精神性の表現とした。(出典)『輟耕録』陶宗儀「叙画」
(注)岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)横浜の本町5丁目(現・本町1丁目、横浜開港記念会館付近)に生まれる。福井藩出身の武家で、1871年に家族で東京に移転[1]。東京美術学校(現・東京藝術大学の前身の一つ)の設立に大きく貢献し、のち日本美術院を創設した。
「既往は咎めず(きおうはとがめず)」過ぎ去ってしまったことを咎めても意味がない。それよりも、将来のことを考えるべきだということ。『論語』に「成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず」とある。
仕事の上で部下がミスを犯すことはよくある。そうした時上司はただ叱るだけではなく、とやかく言わず、再びミスを起こさないように指導するのがよい。 次回に続く。
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