2022.9.3 諺集に見るわが人生(117)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「勧善懲悪」 善事を勧め、悪事を懲らすこと。. 特に、小説・芝居などで、善玉が最後には栄え、悪玉は滅びるという筋書きによって示される。
出典は中国の『左伝』の「懲悪而勧善(アクヲコラシテゼンヲススム)」などに求められる。日本では、儒教思想、とくに朱子学の流れをくむ文学観に、仏教の因果応報思想が結び付き、江戸時代後半の小説や演劇などの創作態度や道徳観として現れた。私が直ぐ思いつくのが『水戸黄門』映画は今5代目だそうだ。BSTBS午後6時30分に里見浩太朗が演じている。
「肝胆相照らす(カンタンアイテラス)」互いに心の底まで打ち明けて、親しく交際することのたとえ。『故事成語考・朋友賓主』に「肝胆相照らす、斯れを腹心の友と為す」とあるのに基づく。
「肝胆」は、肝臓と胆嚢のことで、どちらも生命を支える大事な臓器であることから、転じて「心の奥底」「真実の心」という意味。
「照らす」は「知り合う」ということ。
「肝胆相照らす」は中国の故事が元になっている。「故事成語語考」の朋友賓主(ホウユウヒンシュ)という逸話の中に出て来る「肝胆相照らす、これを腹心の友となす」が元になり、現代に伝わっている。私にも腹心の友がいるが年ごとにその数は減っている。運命とは言え寂しいことだ。
「邯鄲の夢」人生は短くはかないものという意味 。 うたた寝をするくらいの短い時間に見た夢が「50年余り」の一生分の人生を表すものだったということから、 「人生は長いようで、実は束の間のわずかなものである」 ということを記している。
由来「中国唐の開元年間(713~741)、盧生という貧乏な青年が、趙の都邯鄲(カンタン)で道士呂翁(リョオウ)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(コウリャン:粟がまだできあがっていなかった、という李泌(リヒツ)作の『枕中記(チンチュウキ)』の故事による」
私は眠りが浅い。いつも夢を見る。大概怖い夢が多い。ぐっすり眠りたいものだ。
次回に続く。
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