日常細事2022pre


kiji


2022.9.6 諺集に見るわが人生(118)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「肝胆を砕く(かんたんをくだく)」持てる 知恵をすべて傾け、全力を 尽くし て 事に当たる こと。苦 心する たとえ。「肝胆」は肝臓と胆嚢だが、身体の大切な部分や心の意味。(類語)「骨を折る」「肺肝を砕く」
 体の一部を壊してまで全力を尽くすので思いつっくのは、プロ野球の投手が肘を使いすぎ、『トミー・ジョン手術(側副靱帯再建術は、肘の腱や靱帯の損傷・断裂に対する手術術式)』 を受けて再びマウンドに上がる姿を見ると「よく頑張ったな」と思う。
 トミー・ジョン手術の由来は、1974年にフランク・ジョーブによって考案され、初めてこの手術を受けた投手トミー・ジョンにちなんでこう呼ばれている。
 「眼中人無し(がんちゅうひとなし)」おごりたかぶって人を人とも思わないさま。人のことは少しも考えないで、わがままにふるまう。傍若無人(ぼうじゃくぶじん)。会社の猛烈社員などにこんなタイプを見かける。会社も実績を上げるから見て見ぬふりをして、ますます増長させる。「影で悪口を言われる」タイプ。
 「旱天慈雨(かんてんじう)」日照り続きの時に降る恵みの雨のこと。 例えとして、待望していた出来事の実現、苦しい時の救いの手と言う意味に使われる。
「旱天」は日照りが続いて旱魃になること。旱魃で困っているときの恵の雨ということから。「干天慈雨」とも書く。
 昔は旱魃の時「雨乞い」の儀式を行い、天に雨を降らせるよう祈った。王朝時代以前の日本では、雨乞いは国家による儀礼として行われていた。仏教の浸透とともに読経法会による祈雨が盛んとなり、やがて密教の隆盛とともに、祈雨の儀式は読経法会よりも修法が重んじられるようになる。神泉苑は空海が雨乞いを行った場所として知られる。真言宗小野随心院を開創した仁海は、9度の雨乞いの要請に応えて9回雨を降らせ「雨僧正」の異名を取った。日蓮は真言律宗の良観と雨乞い対決をしたと伝わる。
 現代の話は人工降雨に変わる。先ごろ中国ではドローンによる人工降雨実験が行われた。中国の国営企業が開発したドローン「翼竜(よくりゅう)」は、雨粒を成長させるための促進剤を雲の中にまきながら飛行し、約4時間後に着陸した。気象当局によると、実験が終わった後、5ミリから10ミリの雨が降ったという。これからも実験を続けると言う。成否は促進剤にあるようだ。次回に続く。


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