2023.11.19 諺集に見るわが人生(232)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「沙汰の限りに非ず(さたのかぎりにあらず)」常識外れで、道理にあうかどうかを論ずる範囲を超えていることで、論外、話にならないこと。 もってのほかの意味。
(類義)沙汰に及ばぬ。沙汰の外
(使用例)理非・善悪の問題となる範囲。「是をだに心得ざらんは沙汰の限りにあらず」〈正徹物語・上〉
結構こういう事象を議論する時に「沙汰止み」などとして使われている。
「左袒(さたん)」「袒」は着物をはだぬぎにする意) 左の肩をはだぬぎにすること。
中国、前漢の功臣周勃(しゅうぼつ)が呂氏(りょし)を討とうとした時、呂氏につく者は右袒せよ、劉氏(りゅうし)につく者は左袒せよといったところ、軍中すべて左袒したという「史記‐呂后本紀」の故事から。味方すること。同意して肩をもつこと。賛成すること。
あまり使わないことわざだが、こういう事象はよくあることだ。
(由来)「左袒」は、前漢の歴史書である「史記」-呂后紀にある故事から成立した言葉。
紀元前2世紀、前漢王朝を樹立した高祖・劉邦の死後、皇后の呂氏の一族が実権を握ろうと行動を始めていた。
この時、劉氏を守ろうと「周勃」という武将をはじめ、何人かの人物が行動を起こした。
周勃は呂后が亡くなったのをきっかけに、軍隊の指揮権を掌握することに成功する。
その際、兵士たちに向かって「呂氏の為にする者は右袒せよ、劉氏の為にする者は左袒せよ」と呼びかけた。
自分の意見に賛同し、劉氏に味方する者は左の肩を肌脱ぎにせよと呼びかけたわけだ。
その時、兵士全員が躊躇することなく「左袒」した。
周勃の活躍もあって呂氏一族は滅ぼされ、前漢王朝は存続することができた。
洋服の時代「もろ肌脱ぎ」イメージできないかもしれないが、議会などでは手をあげて賛否を問うところなどはやっていることは同じだ。次回に続く。
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