2023.11.30 諺集に見るわが人生(235)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「猿知恵(さるぢえ)」一見気が利いているようでも、生意気で思慮の足らない知識のことをいう。サルは動物の中で特に知能が高いと考えられるが、人間のレベルには全く届かない、という判断がその元にある。
(補説)「猿知恵牛根性」は、利口のようで間が抜けている猿知恵と、鈍重だがこつこつと努力する牛の性質ということで、両者が全く正反対であることをいうことば。
(例文)君の考えることはいつも浅くて、猿知恵で使えないんだよ。
いくら知恵を絞っても所詮猿知恵にしかならないのは残念なことだ。
「猿も木から落ちるさるもきからおちる)」木登りに長けた猿であっても、時には木から落ちるということから、達人と呼ばれるような者であっても、失敗することがあるということ。 言い換えれば、初心者や経験が浅い人がミスをするのは当然だが、そうでない優秀な人でも間違えることがあるということを表している。
(類義語)河童の川流れ/弘法にも筆の誤り/釈迦にも経の読み違い/文殊も知恵のこぼれ/上手の手から水が漏れる。
(例文)体育の先生が跳び箱のお手本を見せているときに、手がすべって怪我をした。猿も木から落ちるだね。
藤井聡太(21)八冠でも無敗ではない。とんだ悪手を打ってどんでん返しで負けることがある。まさに「猿も木から落ちる」を地で行くことを見るようだ。
「去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)」親しい者でも顔を合わせなくなるとだんだんと疎遠になっていくことの例えです。 つまり、離れ離れになれば日を追うごとに忘れていくものだということを言ったことわざとなります。 事実、親交があっても交流の機会が減れば親しさも自然と薄れてしまうものなのではないでしょうか。 それら人間関係の儚さを指した言葉。
(出典)『文選・古詩十九首』に「去る者は日に以て疎く、来たる者は日に以て親し(別れた者とは日増しに疎くなり、こちらへ近づいてくる者とは日増しに親しくなるものだ)」とある。
私もこの歳になると毎年親しい友人がこの世を去り、生きている人とも対面の交流がなくなり、疎遠になっていく、その内音信も途絶え生死さえ分からなくなる。
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