2023.12.14 諺集に見るわが人生(238)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「三国一(さんごくいち)」三国は、昔の大和(やまと)、唐(から)、天竺(てんじく)のこと。つまり、現代の、日本、中国、インドを指す。この「三国一」は、室町時代に生まれた言葉と考えられており、この時代の日本では、大和、唐、天竺の3つの国を、全世界としていたとみられる。
「三国一」や「唐天竺」は、昔の日本人が持つ、地球や世界、距離に関する考え方を窺い知ることのできる、面白い言葉といえるかもしれない。
(使用例)昔の結婚式の披露宴などで、親戚のおじさんが花嫁を褒める時によく聞かれた言葉。昔は、この「三国一の花嫁」という言葉が、結婚式の披露宴での定番の褒め言葉として、よく使われたようだ。
今ではあまり使われなくなった昔の流行り言葉も、年配の人や地方では今でも使うことがある。
「三矢の教え(さんしのおしえ)」前段に「三子教訓状(さんしきょうくんじょう)」がある。これは、中国地方の戦国大名・毛利元就が1557年(弘治3年)に3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に書いた文書。
これを含む「毛利家文書」は重要文化財に指定されて中国地方の戦国大名・毛利元就が1557年(弘治3年)に3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に書いた文書。
この教訓状は文字通り3人の息子たち宛てに書かれたものではあるが、一族協力を説いた倫理的な意味だけでなく、戦国大名としては独自の「毛利両川体制」とも呼ぶべき新体制をとることを宣言した政治的性格をおびている。それで、「兄弟が結束して毛利家の維持に努めていくことの必要性を説き、元就の政治構想を息子たちに伝えた意見書であり、単なる教訓とは異なる」
言葉として残した「三矢の教え」は、晩年の元就が病床に伏していたある日、隆元・元春・隆景の3人が枕許に呼び出された。元就は、まず1本の矢を取って折って見せるが、続いて矢を3本を束ねて折ろうとするが、これは折る事ができなかった。そして元就は、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げた。息子たちは、必ずこの教えに従う事を誓った。
確かに一人ではできないことも、ニ、三人集まればできることはよくある。力を合わせることが大切ということ。 次回に続く。
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