日常細事2022pre


kiji


2023.7.26 諺集に見るわが人生(203)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「心焉に在らざれば視れども見えず(こころここにあらざればみれどもみえず)」何事にも心を張り詰め、精神を集中することが必要である教えで、心が他のことにとらわれていると、じっと見つめても何も見えない。うわの空では何も理解できないこと。
出典では、このあとに「聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず(耳をすましても何も聞こえず食事をしても味がわからないように、物事の正しい判断ができなくなってしまうのだ」と続く。『大学』を元に書かれた貝原益軒の『樂訓』でも同じようなことを言っている「心ここにあらざれば、見れども見れず。目のまへにみちみちて、楽しむべきありさまあるをもしらず。春秋にあひても感ぜず。月花を見ても情なし。聖賢の書にむかひてもこのまず。只私欲にふけりて身をくるしめ、不仁にして人をくるしめ、さがなくいやしきわざをのみ行ひて、わづかなる命の内を、はかなく月日をおくる事をしむべし」
精神が集中を欠き、上の空になること屡々(しばしば)である。

「志は満たすべからず」望みは十分にかなえさせない方がよい。なにもかも思い通りになることはかえってよくない。
『禮記』曲禮(キョクライ:日常生活のこまかな礼式を述べたもの)で、人が平生心掛けるべきこととして掲げた四つの事柄の中の一つ。http://fukushima-net.com/
「敖不可長」敖(おごり)は長ずべからず(傲慢な態度、おごりの気持ちを増長してはいけない)。
「欲不可從」欲は従(ほしいまま)にすべからず(欲望(ヨクボウ)に溺(おぼ)れてしまってはいけない)。
「志不可滿」志は満たすべからず(望みは十分にかなえさせない方がよい)、
「樂不可極」楽しみは極(きわ)むべからず(歓楽は限りを尽くしてはいけない)。
ほどほどのところで手を打って生きることが望ましいと言っている。
(対義)「志ある者は事竟に成る(こころざしあるものはことついになる)」固い決意をもって臨む人は、最後には事を成し遂げることができるということ。 次回に続く。
  









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