日常細事2022pre


kiji


2023.8.6 諺集に見るわが人生(206)

 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「五十歩百歩(ごじゅっぽひゃっぽ)」少しの違いはあっても、本質的には同じであるということ。似たり寄ったり。
(例文)「10分遅刻も15分遅刻も―だ」
(由来)中国の漢文『孟子』にある。戦国時代に梁の王様が、孟子に「わたしはいつも人民のために心をくばっている。凶作の地の民を、より豊作の地に移住させようとしている。他の国より善政を行っているのに、どうして人民はわたしを慕って集まってこないのだ」と問われて答えたことから来ている。
孟子は王様に「王様は戦争がお好きなので、戦争をたとえに申し上げます。戦争の時に、武器を捨て戦から逃げ出すものが出て来て、あるものは五十歩、あるものは百歩逃げた。五十歩逃げた兵士が百歩逃げた兵士に対して臆病だと笑ったらどうでしょうか?」
王様は「それは違う。百歩逃げていないというだけで逃げたことには変わりない」と言いました。すると、孟子は「王様にその道理がお分かりになるのでしたら、あなたの国の人民が隣の国の人民より多くなることをお望みにならないことです」と言った。
同じ立場でありながら違う国の王様の政治を蔑む愚かさを、孟子は表現した。当時の中国では、人民の数が優れた王様であるとされていた背景があった。本当の善政とは何かを伝えようとしたのだ。
この諺などは対話の中で多く使われる方である。

「五十にして四十九年の非を知る」常に自らを省みて高めようとする意志のあること。 年を経ても更に成長しようとする様。 年の五十にもなると、自分自身を省みなくなって驕りや妥協が生ずるものだが、そうではなく、それまでの人生にはまだまだ直すべきところがあったと自己を律して己を更に向上させんとすることを含む。
淮南⼦|⼆⼗⼀巻。
凡⼈中壽七⼗歳、
然⽽趨舍指湊、
⽇以⽉悔也、以⾄於死。
故蘧伯⽟年五⼗、
⽽知四⼗九年⾮。
{書き下し⽂}
凡(およそ)人の中壽(ちゅうじゅ)は七十歳、
然(しか)り而(し)こうして趨舎指湊(すうしゃしそう)、
日よりして以て月となれば悔やみ、以って死に至たる。
故に蘧伯玉(きょはくぎょく)は年(よわい)五十にして、
四十九年の非を知る。 
人の寿命は当時よりずっと帯びているが、それに応じて自己をさらに向上することがあるようだ。 次回に続く。









この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
2013年の記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.