日常細事2022pre


kiji


2023.8.21 諺集に見るわが人生(209)

 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「梧前灯下(ごぜんとうか)」書斎で本を読むこと。
「梧前」は桐の机の前のこと。
桐の机の前の明かりの下という意味から。
(文例)「朝(あしたに)法を聴き、夕(ゆうべ)に道を聴き、梧前灯下に書巻を手にするのは皆この自証(じしょう)を挑撥(ちょうはつ)するの方便の具に過ぎぬ。夏目漱石」
「吾輩は猫である」は読書家なら誰でも読んでいることだろう。従ってこの四字熟語も目にしているはずだ。しかし他に使用例を見たことはない。

「五臓六腑に沁みわたる((ごぞうろっぷにしみわたる)」美味なものや渇望していたものを口にしたときの満足感を、「まるで(飲食物が)体の隅々に染みこんでいくようだ」とたとえた言葉。 「五臓六腑」とは東洋医学の言葉で、五臓と六腑すべての総称。五臓は心臓、肝臓、肺臓、脾臓、腎臓。
六腑は大腸、小腸、胃、胆、膀胱、三焦。
六腑にある三焦は、上中下の三つに分かれ、上焦は横隔膜より上部、中焦は上腹部、下焦はへそより下部にあり、呼吸・消化・排泄をつかさどる器官のこと。
(使用例)炎天下の中で木陰で一休みして、冷やした水を飲むと、五臓六腑に沁みみわたった。

「胡蝶の夢(こちょうのゆめ)」中国戦国時代の思想家の荘子(荘周)による、夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのかといった説話である。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。
(補説)「荘子」の哲学は、一般人にはちょっと難解だ。そこで、故事成語としては、「人生は夢のようである」というところから、主に人生のはかなさのたとえとして使われる。美しい胡蝶の姿を踏まえて、楽しいできごとやすばらしいできごとも実ははかない、という文脈で用いるのが、一般的だろう。 次回に続く。








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