日常細事2022pre


kiji


2023.2.26 諺集に見るわが人生(163)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「苦楽は生涯の道連れ」苦労と安楽は、生きている限りついて回るものだということ。一生は苦楽の繰り返しであることをいう。
人間に苦労を重ねて立派な社会人に成長するものだ。苦なくして成長なし。
人間は一生懸命努力して生きなければならない、我慢と忍耐に耐えて乗り越えるものだ。
我慢と忍耐無くして成長できる方法はないものか。世の中それほど甘くない。苦労した方が、学ぶことは多い。

「暗闇の頬被り(くらやみのほうかぶり)」不必要な用心をすることのたとえで、暗闇の中で顔を隠しても、意味がないことから。「暗がりの頬破り」ともいう。
暗闇で顔は見えないのに、さらに頰かむりをして顔を隠そうとする様子が語源になっている。
頬破りは「知らん振りする」という時に使うことが多いようだ。
暗闇と言う言葉にはその中に胡散臭さが込められている。
子どもの頃は「暗闇」と言えばお化けであった。一方で「暗闇に花火」などは美しい夏の風物詩である。

「苦しい時には親を出せ」言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。場合によっては生きてる親を殺して「親父の3回忌の法事があるから」などと逃げる飛んでもない方便に使うこともある。何れにしてもいつだって親は救いの神になってくれる。
(例文)「課長、すみません。父親が急に病気になりまして、今日はちょっと会社を休ませてください」「苦しい時は親を出せかね。しかし、度が過ぎるよ、きみ。少しはほかの手を使うようにしたらどうかね」

「苦しい時の神頼み」困ったときにだけ、他人に頼ろうとすること。普段は神や仏を拝んだこともないのが、苦しい時だけ神仏に祈って助けを求めることから。転じて 普段は神や仏を信じていない癖に、自分が必要に感じた時だけ頼ろうとする身勝手な行いや自分本位な考え方 のことを指す。
前項の「親」が「神仏」に格上げされている。親の出番は言い訳の時だが、自分が本当に困った時には「神仏」にすがる。
前にも触れたが、人生は「苦」の連続である(99999)。 次回に続く








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