2023.4.21 諺集に見るわが人生(177)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「け」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「外題学問(げだいがくもん)」うわべだけの学問をあざけっていう語。書物の書名だけは知っているが、その内容はよく知らないえせ学問のこと。▽「外題」は書物の表紙にはった紙に書かれた題名。
(由来)史記抄(1477)二〇「文献通考には経籍考と云が二三十巻あるぞ。外題学問によからうぞ」
(実例)役立たない学問や内容がない学問として、例えば、世の役には立たないが権威ばかり主張する学者や教授などを「外題学問なのに威張り散らす」といった感じになる。よって、相手を批判したり、自らを卑しめて「外題学問」と用いられる。どんなに難しい学問をしていても、それが世の中に役立たないどころか誰も知らなければ、無意味ではないのかと説いている。
「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」足でふまれる下駄も人から拝まれる仏像も、もとは同じ木からできたものである。尊卑の差はあってもそれは境遇によるものであって、その根本は同じである意のたとえ。
また、はじめは同じでも、末には非常に違うことのたとえもある。
類語として、下 駄も仏も同じ木のはし。
下駄も仏も同じ木の切れ。
もう少し具体的に説明すると、同じ一本の木から、下駄の職人は下駄を作り仏師は仏像を作るように、人は、だれしも同じところからスタートしながら、生涯を終えるときに大きな差が出るのは、その後の本人の勉学や努力によるものである、というたとえ。
大人になって、小学校の同総会などに出ると現在の境遇の違いが明確に違うことを実感する。
「下駄を預ける」「下駄を預ける」とは、相手に物事の処理、責任などを一任する際に用いられる言葉。下駄と言えば、昔からある日本独自の履物のことだが、下駄を預けることがなぜ相手に責任などを一任することなのかというと、下駄を他人に預けてしまうと、その場から自由に動けなくなる。あとは、預かった人の心次第で、自分はじっとしているしかないところから生じた言葉。
(出典)浄瑠璃・天智天皇(1692)二「とても叶ふまじと御覧じ、奉公せよ召使はんなどとげたを預け給ひしか」
今も昔も、信頼できる部下に「下駄を預ける」ことは多くあるものだ。 次回に続く。
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