2023.4.29 諺集に見るわが人生(179)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「け」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「結構は阿呆の唐名」何を言われても「結構」としか言わないお人好しは、愚か者と変わりはないということ。人に同調してばかりいるお人好しをあざけっていうことば。「結構は阿呆の内」ともいう。▷唐名=別名。
(例文)そこまで人が良いと感心を通り越して呆れるね。まさに結構は阿呆の唐名じゃないか(proverb-encyclopedia.com)。
だまされる人は多く見てきたが、底抜けのお人好しではなく、下心が透けてみえる。
「外面如菩薩内心如夜叉(がいめんにょぼさつないしんにょやしゃ)」外見はやさしく穏やかに見えるが、心の中は邪悪で恐ろしいというたとえ。多く女性にいう。
「菩薩」とは、仏の慈悲の心で衆生を導く者のこと。
「夜叉」とは、残忍な鬼神のこと。
「如し」は、「~のようだ」の意味。
女性の顔はいかにもやさしくおとなしい菩薩のように見えるが、心の中は悪魔のように険悪で恐ろしいところがあるということ。
仏教の経文から出たもので、女性が仏道の修行の妨げになることをいった言葉。
『華厳経』に「外面菩薩に似、内心夜叉の如し」とある。 出典『華厳経』
「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」高知よさこい節の有名な歌詞。坊さんが彼女へのプレゼントをかうのだから、明らかに女性が仏道の妨げになっている。
ジェンダーの時代にはそぐわないことわざかも知れない。だが、しかしである。
「螻蛄才(けらざい)」《螻蛄には飛ぶ、登る、潜る、掘る、走るの五つの能力があるが、どれ一つとして卓越したものがないところから》多芸多才でありながら、どれも中途半端であること。また、そのような役に立たない才能。
日曜大工のようなもので、細かい作業は本物の大工の腕に遠く及ばない。好きで何でもこなすが「器用貧乏」の域を出ない。 次回に続く。
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