2023.5.11 諺集に見るわが人生(182)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「け」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「乾坤一擲(けんこんいってき)」「乾坤」は、「天地」「陰陽」「サイコロの奇数の目と偶数の目」「一か八か」という意味。「一擲」は「サイコロを一回だけ投げて勝負にでる」という意味になります。因みに「擲」は「なげうつ」とも読む字。つまり「乾坤一擲」は「天下を賭けるような大勝負に出る」ことを意味する。
由来は、中国・唐の時代の詩人韓愈の『鴻溝を過ぐ』。休戦して互いに引いた直後に、劉邦が項羽を攻撃した時の場面に「一擲乾坤」と書かれているところからきている。
長い人生の中においては誰でも何回かは「乾坤一擲」の勝負に出る覚えがあることだろう。
「賢者ひだるし伊達寒し」賢者は世俗に妥協しないために飢え,伊達者は薄着をするので寒い。俗人とちがった生き方をするものはつらい目にあうというたとえ。ひだるし=ひもじい、空腹である意。伊達=「伊達の薄着」の略で、着ぶくれで不格好になるのを嫌い、寒いときでも無理してう薄着でいること。
私が貧しい時着たきり雀で冬は寒い思いをしたことを覚えているが、これは伊達の薄着ではなく、モノがなく耐乏生活を強いられた時代を生きた経験を持つ者には理解できることだろう。
私のように賢者でない者は、世俗に妥協しながら跫音共栄している。その昔さる東大教授が闇の食物を拒否し、飢え死にした話は伝説として残っている。
「見性自覚(けんしょうじかく)」自身の生まれつき持っている性質を悟ること。
「見性」は自身の本質を見極めること。仏教の言葉で「悟り」に近い。俗人には中々到達できない境地である。
(類義)「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」禅宗の語。本来自分に備わっている、本性や仏心を見極め、悟ること。「見性」は自分自身の本性を見極めること。「成仏」は、仏になること。中国、唐宋時代に禅宗で用いられて根本教義になった語。
次回に続く。
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