日常細事2022pre


kiji


2023.6.14 諺集に見るわが人生(192)

 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「孔子も時に会わず」いかなる聖賢でも、時宜を得なければ世に入れられることはない。いかに有能な者、いかによい考えであっても、好機にめぐりあわなければ用いられないというたとえ。
(出典)孔子が南巡した際に飢餓に苦しみ、弟子の子路が「先生のようなりっぱなかたがどうしてこんなに困窮しなければいけないのですか」と問い、孔子が「古来より君子で博識な人でも時世にめぐりあわなかった者はたくさんいる。なにも私だけではない」と答えたという「荀子―宥坐」に見える故事によることば。
(例文)チャンスは意外と少ない。孔子も時に会わずというが、才能を開花させることができず埋もれていく人のなんと多いことよ(proverb-encyclopedia.com)。

「好事も無きには如かず」人生は何事もなく平穏であるのがもっともよいということ。よいことであるとわずらわしく、悪いことだとなおさらである意から。
(出典)太平記(14C後)三四「好事不レ如レ無(カウシモなキニハシカず)と申事候へば、まして此事吉事なるべしとは申し難し」 〔巖棲幽事〕
『禅語事典』には「好事とは善いこと、喜ばしいことなどです。どんなに価値があろうとも、それがあることにより、分別や執着心が起こり、煩悩妄想のもとになります。この句は、これを戒め、吉凶・好悪を分別したり吉事、好事に執着する心を捨ててしまいなさいという意味です。そして、さらに捨てるという意識も捨て去るところに悟りが開けるのです(平田精耕)」
禅の世界では、好事の分別を捨て、好事も悪しきこともあるがままに受けとめることを良しとします。何事のにも捉われなければ、好事は好事として否定せず、、捨てることもない。でも、自分からは求めない。あればあったらいい。心穏やかに生きるには自然体がいちばん、という事です。 次回に続く。
  









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