2024.11.24 諺集に見るわが人生(318)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「千畳敷に寝ても一畳」物は必要なだけあれば事足りるということ。 [注釈] 千畳もある大きな部屋に寝ても、必要な広さはせいぜい畳一枚である意から。
(類義語)•起きて半畳寝て一畳•千石万石も飯一杯•千石万石も米五合•天下取っても二合半
(例文)大量生産大量消費の時代は終わった。これからは、千畳敷に寝ても一畳と戒め、欲望と戦い生きていく。
類義語の「起きて半畳寝て一畳」の方がよく使われ、イメージがが浮かびやすい。その意味は次の通り 1.人間が生活するのに、無駄に広いのは不要なだけという教え。 2.どんな人間でも立ち上がれば半畳、寝ても一畳あれば十分足りる。 3.人並みの生活で満足し、贅沢は禁止。
私も「人並みの生活ができればそれで十分」だと思う。
「禅譲放伐(ぜんじょうほうばつ)」中国における天子ないしは王朝を交代する二つの方法。 「禅譲」は世襲せずに、君主が自ら選んで徳がある人に譲ること。 「放伐」は悪政を行う君主を、臣下が武力で打ち倒したり、追放したりして地位を奪うこと。天子に限らず、比喩的に地位を平和裏に譲ることを禅譲、無理やり奪うことを簒奪と呼ぶことがある。
歴史的な文脈で見ると、禅譲と放伐は、王朝の正統性と継承の問題を考える上で重要な概念である。これらの方法がどのように実践され、どのような結果をもたらしたかは、多くの歴史書や文献で議論されている。
(出典)『孟子』梁恵王(りょうけいおう)下
具体的には克帝から舜帝への政権交代は禅譲、殷の湯王が夏の架王を伐ち位を奪ったのが放伐。
(例文)政治家が世襲をやめて、禅譲放伐の禅譲を行えば平和な世の中になるかもしれない。
今の中国は「禅譲」なのか「放伐」なのか、どちらだろう? 次回に続く。
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