2024.11.27 諺集に見るわが人生(319)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「千緒万端、遺漏あることなし(せんしょばんたん、いろうあることなし)」多くの事柄や細部にわたって、一切の手落ちや過ちがない状態を意味している。「千緒万端」とは数え切れないほど多くの事柄や細部を指し、「遺漏」とは手落ちや忘れ去られた点を意味している。
(由来)「晋書」陶侃。陶侃(とうかん、259年 - 334年)は、中国の西晋および東晋の武将です。字は士行(しこう)で、現在の江西省九江市にあたる尋陽県の出身です。彼は東晋初期を代表する名将の一人であり、武廟六十四将にも選ばれています
(例文)—つの映画を見てもその感想は千緖万端です。
私の場合は「万端遺漏あり」
「千辛万苦(せんしんばんく)」色々な苦しみや困難のこと。 または、たくさんの苦労を経験すること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 千万の苦労をするということから。
(由来)「秦簡夫 (しんかんふ)」「趙礼譲肥 (ちょうれいじょうひ)」四より出典。
(類義語)•悪戦苦闘 (あくせんくとう)・報難辛苦 (かんなんしんく)•千荊万棘 (せんけいばんきよく)•粒粒辛苦 (りゅうりゅうしんく)
(例文)千辛万苦して手に入れた資格は、彼の努力の証だ。
私は目下将棋で悪戦苦闘している最中だ。
「先生と呼ばれる馬鹿はなし」先生と呼ばれていい気になっている者をあざけることば。また、人をむやみに先生呼ばわりする風潮への皮肉。
(由来)先生と呼ばれて得意になっている人を皮肉る川柳。詠み人知らず。
(例文)先生と言われるほどの馬鹿でなしというから、先生と呼ばれていい気になってはいけない。
私はかかりつけの医者は「先生」と呼ぶ。ほかに呼びようがないから。この場合は尊敬の念を込めている。 次回に続く。
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