2024.12.7 諺集に見るわが人生(321)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「せ」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「船頭多くして船山に上る」船頭多くして船山に上るとは、指図する人が多くて方針の統一がはかれず、物事がとんでもない方向にそれてしまうことのたとえ。
(注釈)船頭とは、和船の船長のこと。—艘の船に何人も船頭がいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまうことから、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく退ばないことをいう。
(例文)•船頭多くして船山に上るというもので、指示通りに動ける人がいなければ収拾がつかなくなる。
ベイスターズの日本一を確定した三浦監督は船頭に例えれば、チームに一人の名監督だ。
「先入主(せんにゅうしゅ)となる」先に記憶したものが自分の考えの中心になり、あとから入ってくる事柄は、なかなか受け付けないことをいい、固定観念を打ち破ることの困難にたとえる。
(語源)前もって抱いている考えが主となり、後からの考えが従となるという意から。この語から「先入観や」「先入主」という語が出来た。
(出典)『漢書』「先入の語を以って主と為(な)す無かれ」とある
(例文)年をとると、どうしても経験が先入主となり、若い人の考え方につはついていけなくなる。
運転していた頃は先入観にとらわれて行き先を見失うことが多々あった。何しろ麦も左も分からなくなるほどの方向音痴だから。
「善人なおもて往生を遂ぐ(おうじょうをとぐ)、況(いわ)んや悪人をや」「善人でさえ往生できる。ましてや悪人なら尚更だ」という普通の考え方とは真逆の言葉なため、一度聞いたらなかなか忘れられない言葉で、普通なら「悪人なおもって往生を遂ぐ いわんや善人をや」となりそうなものなのに、どうして「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と言われているのだろうか。
(出典)親鸞聖人「歎異抄の一文」「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」しかるを世の人つねにいわく「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」ここでのポイントは、往生を果たすことが善悪の行為に依存しているのではなく、阿弥陀如来の他力によるものだという浄土真宗の教えに基づいている。 次回に続く。
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