日常細事2022pre


kiji


2024.7.17 諺集に見るわが人生(287)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 「蕉鹿の夢(しょうろくのゆめ)」人生の損得は夢のようにはかない。あきらめがよいこと。そして時には現実を受け入れて新たな道を進むことが重要だとしている。
(出典)「列子(れっし)」昔、鄭の国の人が捕らえた鹿を堀に隠し芭蕉の葉で覆った。そのうち隠した場所を忘れ、あれは夢だったとあきらめたという故事から。
(例文)人生前に進むために蕉鹿の夢の姿勢が大事だ。
ヘソクリを隠した場所を忘れてしまい、ゴミと一緒に出してしまったという話は枚挙に暇がない。

 「小を捨てて大に就く(しょうをすててだいにつく)」小さな利益や事柄を犠牲にしてでも、より重要な大きな目標や価値を達成することを意味している。これは、長期的な視野で考え、大きな成果や利益を得るためには、一時的な小さな利益や快楽を放棄することが必要だという考え方を表している。
(例文)小を捨てて大に就く、私には大事な任務があるから君の愚痴なんて聞いていられない。
(出典)「荘子・天下」の「大同にして、小同と異なる、此を之れ小同異と謂ふ」。

 「諸行無常(しょぎょうむじょう)」この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなく移り変わっていき、永久不変なものなどないということ。
(由来)諸行無常の 「諸行」は、この世の一切の事物・現象。
「無常」とは、この世にある一切のものは常に移り変わり、不変のものはないということ。
仏教の思想にある根本的なもので、あらゆるものは刹那 (一瞬)の間にも変化をくり返していることをいう。
人生のはかなさを表す言葉であり、一般的には、世の中の移り変わりの激しさや人の死を嘆くときに使われる。
諸行無常は、仏法の大網である『三法印』の一つで、宋代の仏教書『景徳伝灯録』では、釈迦牟尼仏が入滅するときに、沙羅双樹の木の下で説いた言葉とされている。
『涅槃経』にある「諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅爲樂」のことを『諸行無常偶』とい
う。
『平家物語』の冒頭では、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらわす」と使われている。
迦牟尼仏が入滅するときに、沙羅双樹の木の下で説いた言葉とされている。 次回に続く。



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