2024.7.21 諺集に見るわが人生(288)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「初心忘るべからず」世阿弥が40代の頃から20年ほどかけて書いた『花鏡かきょう』という本に出てくる言葉で世阿弥が40代の頃から20年ほどかけて書いた『花鏡かきょう』という本に出てくるフレーズで三つの分けて書かれている・
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
誰もが知る「初心忘(れ)るべからず」は、もともとは世阿弥のことば。現代では、「物事に慣れると慢心してしまいがちだが、最初のころの志を忘れてはいけない」という意味で使われるのが一般的だ。しかし世阿弥のことばはもっと深く、繊細な意味を持っているのだという。
ご存知のとおり、世阿弥は能の大成者。それまで各地で催されていた猿楽や田楽を、室町幕府三代将軍足利義満の庇護を受け、観阿弥・世阿弥親子が能という芸術に進化させたわけである。
世阿弥が観阿弥から伝えられた芸の極意をまとめた『風姿花伝』、後期に著した『花鏡』は、日本の文化史上特に優れた作品であり、世界的に見ても類のない芸術論として有名だ。
「初心忘るべからず。」は、そんな『花鏡』の最後、「奥の段」に出てくることば。上記のように「是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」と3つに分けられている。
「是非の初心忘るべからず。」が説いているのは、「未熟だったときの芸も忘れることなく、判断基準として芸を向上させていかねばならない」ということ。
「時々の初心忘るべからず」は、「その年齢にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては初心者であり、やはり未熟さ、つたなさがある。そのひとつひとつを忘れてはならない」ということ。
そして「老後の初心忘るべからず」は、「老年期になって初めて行う芸というものがあり、初心がある。年をとったからもういいとか、完成したとかいうことはない」ということ。
限りのない芸の向上を目指すべしと説いているわけで、これは定年を前に老後に至ってからも自分の未熟さを忘れないことが大事だということ。
今回は紙数を多く取ったので、以下次号に続く。
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