日常細事2022pre


kiji


2024.8.6 諺集に見るわが人生(292)

 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 「人間至る処青山有り」世の中は広く、死んで骨を埋めるくらいの場所はどこにでもあるのだから、大望を成し遂げるためにならどこにでも行って、大いに活躍するべきであるということ。
(注釈)ここでの 「人間」は、人の住む世界・世の中という意味。「青山」は、死んで骨を埋める地・墓地のこと。
(由来)この詩の作者は村松文三であり、幕末の僧、釈月性が酔った際に壁に 「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の「地を期せん、人間到る処青山あり」と記したのが誤って月性の策として伝えられたという説もある。
「じんかん到る処青山あり」ともいう。
(例文)人間到る処青山ありというから、思いきって行ってみることに決めた。

 「人語に落つ」他人に比べて能力が劣ることをいう。これは、競争や比較の中で、他人よりも後ろに立つこと、つまり不利な立場にあることを意味している。「人後」とは、人の後ろや、人よりも下の位であること、という意味。
(出典)李白の「夜郎に流され辛判官に贈る」757 年に、李白は安禄山(あんろくざん)一味の反乱軍に加わったという罪を着せられました。犯罪者として、中国の夜郎に流された李白は、当時の心境を友人の辛判官に詠いました。
「気岸遥かに凌ぐ豪士の前、風流あえて落ちんや他人の後に」これの現代語訳は、「盛んな心意気は豪傑を遥かに凌ぎ、風流さは人後におちなかった」
意味は、「かつては王族と酒を酌み交わし、心意気は豪傑をしのいでいた。風流をたしなむことにかけても人後に落ちていただろうか、いやそんなことはなかった」
李白の心情が描かれている。流刑という逆境にありながら、人には劣っていないという強い心意気が現れている。友人に対して、李白が本音を示した詩であろう。
(例文)お酒は好きだが、すぐ酔ってしまう。こればかりは人後に落つのも仕方がない。 次回に続く。


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