日常細事2022pre


kiji


2024.9.12 諺集に見るわが人生(301)

 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「す」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 「好きこそものの上手なれ」どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ。「上手なれ」の 「なれ」は 「なり」の未然形で、「こそ」に応じた係り結び。
 誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。
 芸事は無理して嫌だと思いながらやっても、成長はないということ。
(例文)好きこそ物の上手なれで、絵を描くことが好きな妹は最近漫画コンクールで賞をもらったらしい。
 うまいか下手かは別として、私は絵を描くのが好きだ。だから、このHPも絵が中心に構成されている。飽きないのである。

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」程度を超えているというのは不足していることと同じことであり、良くないことであるということを意味している。このため物事というのは程々にするのが良いとされている。
(由来)孔子の弟子である子貢が、子張と子夏のどちらが優れているかを孔子に問うたことがあった。そこで孔子は、子張はゆき過ぎていて、子夏はゆき足りていないと答えた。それを聞いた子貢は、ならば子張の方が優れているのかと再度孔子に問うたところ、孔子はゆき過ぎているのは、ゆき足りていないことと同じであると答えた。孔子は中庸を徳の最高指標としていたことから、ゆき過ぎていても、ゆき足りなくてもどちらも好ましくないと考えていた。
(原文)子貢問、師与商也孰賢。
子曰、師也過、商也不及。曰、然則師愈。子曰、過猶不及。
 徳川家康は論語を学んでいて、過ぎたるは猶及ばざるが如しの考えを推し進めていた。その全文「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
 (例文)残業もほどほどにしなさい。過ぎたるは猶及ばざるが如しだ。
 次回に続く。



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