日常細事2022pre


kiji


2024.9.19 諺集に見るわが人生(303)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「す」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 「雀の涙」ほんのわずかな量のたとえ。雀っていう小さい鳥が泣いたとき、その涙がどれくらいの量か想像できるだろうか。すごくちっちゃいはずだ。だから、それを借りて「雀の涙」という。
(由来)雀という鳥が小さいことに由来する。雀という名前は「スズ」と「メ」に分けられ、「スズ」は小さいことを表す「ササ」が転じた言葉とされている。「メ」は鳥を表す接尾語。
(例文)毎日の生活の中で、雀の涙ほどのちっぽけな幸せを一つ一つ、大事にしていきている。
雀の涙ほどの金品でも行為の証として受け取る。

 「雀百まで踊り忘れず」幼いころに身についた悪い習慣は、一生直らない。
「雀百まで踊り忘れず」は悪い習慣のみに対して使い、良い習慣に対しては使わない。
(由来)由来は、「上方(かみがた)いろはかるた」にある。
「いろはかるた」とはことわざが札に書かれている古典的なかるただが、使われていることわざは、地域によって異なる。
「す」の札に「雀百まで踊り忘れず」が書かれているのが、関西の「上方いろはかるた」である。
なお、もともと「雀百まで踊り忘れ "ぬ" 」ということわざは存在していたが、「上方いろはかるた」の表記がきっかけで、「雀百まで踊り忘れず」のほうが広く使われるようになった。
(類義語)・頭禿げても浮気はやまず・病は治るが癖は治らぬ
(例文)雀百まで踊り忘れずというが、小さいときに身につけたことは、大きくなってからも忘れないものだ。
誰にでも癖はある。気にしていればでないが、とっさに出るものだ。

 「捨てる神あれば拾う神あり」つらいことがあっても落ち込むな"ということ。世の中にはたくさんの人がいて、見捨てられたり、愛想を尽かされたりすることもあるけれど、助けてくれたり、親切にしてくれる人もいるということを表現している。
(由来)日本には古代から、八百万(やおよろず)の神がいるという考え方があり、神様は数えきれないほどたくさんいると言われてきた。その考え方から、もし自分のことを見放す神様がいたとしても、見捨てずに助けてくれる神様もいるというのが、ことわざとなった。
(例文)就職試験で1社落ちたくらいで落ち込む必要はないよ。捨てる神あれば拾う神もあるから。
HP「paintえがく 八百万の神」参照  次回に続く。


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