日常細事2022pre


kiji


2024.9.22 諺集に見るわが人生(304)

 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「す」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 「砂を噛むよう(すなをかむよう)」面白みのない毎日、つまらない人生という感じで、「砂をかむよう」は物事のむなしさ、つまらなさを表している。
文化庁の調査によると「無味乾燥でつまらない様子(32.1%)」、「悔しくてたまらない様子(56.9%) 」と本来の意味でなく「悔しくてたまらない様子」と半数以上が本来の意味でない意味で使っている。
(語源)砂を噛んでいるように味がないの意から。
(例文)食欲が感じられないため、せっかくの好物も、砂を噛むような思いで食べた。

 「脛に傷持つ(すねにきずもつ)]自分が過去に犯した過ちや悪事など、隠しておきたい秘密や恥ずかしいことがあるという意味から。
もともとは「脛に疵持てば笹原走らぬ」からきていることわざである。笹の葉が触れて痛いので、脛に傷のある者はゆっくり歩けずに走るだろうという意味から、後ろ暗い人間が落ち着いて堂々とした世渡りができないことのたとえ。また、後ろ暗い人間は笹の葉が風に動くようなちょっとしたことにもおびえて走るものだという意味もある。
(由来)他人からは目の届かない向こう脛に傷があるの意味から。
(例文)彼は脛に傷持つ身なので、なるべく人前には出ないようにしている。

 「全ての道はローマに通ず」多くのものが中心に向かうことから"目的が同じならば出発点や手段が違っていても同じ場所に辿り着く"、そして"ひとつの真理はあらゆることに適用できる"ことをたとえたこと。
(補説)全盛期のローマ帝国は非常に大きく、ローマを中心としてヨーロッパや小アジア、北アフリカまでの道が整備されていた。多くの道が中心であるローマに集中するこの様子を、道を"手段"、中心地のローマを"真理"にたとえたのが「全ての道はローマに通ず」と言われている。 
(例文)全ての道はローマに通ずとばかりに、首都への一極集中化が進んでいる。
次回に続く。


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