日常細事2022pre


kiji


2024.1.13 諺集に見るわが人生(243)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「三位一体(さんみいったい)」キリスト教において・父(=父なる神・主権)・子(=神の子・子なるイエス・キリスト)・霊(=聖霊・聖神)の三つが「一体(=唯一神・唯一の神)」であるとする教え。
 三位一体の教義は新約聖書に基礎を置き、イエスと神の関係を理解しようと試みたときに議論を引き起こし、系統立てて説明され、確立したものである。
 ブリタニカ百科事典はこの教義の基礎である聖句について、
「父と子と聖霊の関係は,大宣教命令として知られる次の新約聖書の個所でも関連づけられている。「それゆえ,あなたがたは行って,あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け (なさい) 」 (マタイ 28・19)。
 (祈祷文)祈祷においては、カトリック教会の典礼・祈祷、聖公会および一部プロテスタントの祈りにおいて「父と子と聖霊の御名において」、正教会の奉神礼で「父と子と聖神(せいしん)の名に依る(よる)」[64]と唱えられることに反映されている。
 神様の三位一体性を信じるこの信条はキリスト教会にとってきわめて大切であり、このことを認めない人はキリスト信仰者とみなされない、というのが教会の伝統に基づく立場である。

「三余(さんよ)」 勉学に最適な三つの余暇。人間の生活の中には冬 (年の余り )、夜 (日の余り )、雨 (時の余り )の三つの余暇があり、勉学するにはこの余暇を使えば十分であるということ。
 (補説)魏の董遇(どうぐう)いう学者が、学問をする暇がないという弟子に教えたことばで、出典には「 ・・・まさに三余をもってすべし。……冬は歳(とし)の余り、夜は日の余り、陰雨 (長雨 )は時の余りなり」とある。
 (出典)中国三国時代、魏ぎの董遇とうぐうが勉学する時間がないと嘆く弟子を諭した語。
 私は「読書の秋」という成句がすきだ。とはいえ最近は本ではなく、スマートフォンで風呂に浸かりながら、一日の出来事を中心に見ている。スマホにはkindle(アマゾンキンドル本)にダウンロードした書籍が保存されており、気の向いた時に読書している。三余ではなく「風呂」が勉学に向いた余暇である。時たまのぼせるという弊害もあるが。 次回に続く。







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