日常細事2022pre


kiji


2024.1.21 諺集に見るわが人生(245)

 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「しから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「自画自賛(じが-じさん)」 自分で自分のことを褒めること。この言葉は、自分で描いた画に自分で詩文を書くことが由来になっている。詩文を書くことを「賛」と言い、普通は他人に書いてもらうものだが、自分で書くこともある。自画自賛は、ポジティブな意味で喜びを表すこともあれば、ネガティブな意味でずうずうしいと批判することもある。
 ではなぜ自画自賛なのか?自分自身を褒めることなので、自画ではなく自我ではないのか・・。
 (由来)自画自賛とは、もともと自分で書いた画に、自分自身の手で賛を入れることからきている。
 (類義)・手前味噌(てまえみそ)・一分自慢(いちぶじまん)・自惚れ/己惚れ(うぬぼれ)
 長くやっている事柄の内面にはこうした一面があるかも知れない。
 「自家撞着(じかどうちゃく)」同じ人の言動や文章などが、前後で矛盾していること。自分で自分の言行に反すること。▷自家=自分自身のこと。撞着=突き当たること。矛盾すること。
 (由来)禅宗における課題が書かれている「公安集」に語源があるとされている。そのなかにある記述が「回頭撞着自家底」というもの。ここでは、「山の頂上は見えず、海の底も見えず、目の前には土埃が立ち、前方すらも見えない。振り返っても自分自身がどのように来たのかもわからない」ということが書かれている。
 過去に辿ってきた道がわからなくなってしまうという意味が転じて、前後の言動に矛盾が生じるという意味の「自家撞着」という言葉ができたのだろう。
 (例文)多くの人の意見を取り入れていると、やがて自家撞着をきたすだろう
 私は歩行音痴だから道を覚えられずに、車を運転していた時代には目的地に着くのに、何回も道を間違えたものだ。まさに言葉通りの自家撞着である。  次回に続く。







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