2013.10.29知の作業場
考えをまとめる時、人にはそれぞれふさわしい場所がある。
風呂の浴槽の中(言葉が浮かんでくる)、眠れない寝床の中(言葉が夢に表れる)、空いている電車の中(言葉がコトン、コトンとリズムに合わせて踊り出る)、トイレの中(言葉を文字通りひねり出す)等々、色々な場所が頭に浮かんでくる。人によってはそんな場所にメモ帳など用意しているという話も聞く。
私の場合は、散歩中が一番考えが浮かんだり、まとまったりする。ウォーキングは、最短でも一時間は歩くから、何か考えない方がおかしい。以前は歩くときはイヤホンで音楽を聴いたり、トーク番組に耳を傾けていたのだが、コラムを書くようになってからは、そうすると気持ちが集中できないので止めた。考えやヒントが浮かんだら、メモが必要なので、公園のベンチに座ったり、近くに手頃な喫茶店でもあればそこに飛び込んで、常時携帯している電子ノートに書きつけるようにしている。
そうして書き出したメモは家に帰って、パソコンに向かい文章としてまとめ上げる。それがコラム作成のための一連の作業だ。いきなりパソコンに向かい「さー書くぞ」と構えると、却って何も浮かんでこない。
先に記したが、考えをまとめるという「知の作業」に決まった環境は必要ない。風呂場であったり、寝床であったり、電車の中であったり、トイレであったりと、何れも書く作業には不向きな場所である。散歩もしかり、何でそんな場所でアイデアが出たり、考えがまとまるのだろう。
かえりみるに、それらに共通している点は肩の力が抜けている状態にあるという所だ。ある目的があり、そのためのデータもある時には、リラックスした状態に自分を置くことが、文章を作成する上で大切だという結論が導き出された。