2013.10.8 メガネ(mono)
私にとって、毎日の生活に欠かせないメガネ。今回はメガネを取り上げる。
先ず、メガネはいつごろ日本に到来したかから始める。
眼鏡が日本に伝わったのは、室町時代後奈良天皇の御代(1526-57)とされ、聖フランシスコザビエルが大津義隆に提示した贈物の台帳に明記されているところから、約500年前になる。
かの俳人蕪村も「合わぬ眼鏡のおろか也けり」(1779)と歌っている。矢張りどの時代でも合わぬメガネは使えないということが分かる。
最近は遠近両用メガネが当たり前のように普及しているが、日本ではそれほど古い話ではない。1967年にHOYAが日本で初めて境目のない遠近両用メガネを発売している。
さて、私とメガネとの付き合いについて話を戻す。老眼が始まったのは、比較的早く40代の初めである。それまでは両眼とも視力1.5を自慢していた。ところが、急に新聞の字が二重に見えるようになった。そこで職場の近くのメガネ屋で検眼してもらったところ、遠視で乱視で、一部近眼という訳の分からない結果が出た。それは大変だということで、流行の先端を行く、先に紹介したHOYAのメガネを新調した。いい値段であったが、新聞も読めるし遠くもよく見えた。階段の下りは少し歪んで歩きにくいので、普段はかけなかったが、運転する時などはメーターを見るために必ず使用した。
これで一安心と誰でも思うはずだ。ところがそうはいかない。年とともに老眼は進み、視力も衰えていくという現実があった。2年に1回は作り直しという事態となってしまった。その上遠近両用だけでは足りず、中近、老眼専用と使い分けるという煩雑なかけ替えが必要となり、家中にメガネが配備されることになってしまった。当然外出用に遠近と携帯型老眼鏡も準備した。ついいつもの置き場所と違う場所に置くと「メガネ、メガネはどこ」と探すという時間の無駄も生じるようになった。正直眼のメンテナンスにこれほど手がかかるとは思わなかった。あちこちのメガネチェーンが繁盛するのも分かる気がする。いつまでも高価なメガネを買うほどの財力もないし、つい宣伝に釣られ、万能と言われる全視界メガネも購入し、使用しているが、決して万能ではない。半額セールのメガネは、安物限定の在庫払いでまず値段も信用できず、とうぜん満足できる代物ではない。DAISOが遠近両用を出せばこの程度のメガネは発売できるだろう。と言う有様で「安物買いの銭失い」に懲りない私なのだ。IPS細胞が眼の根本的改善に使われるまで待つのはほぼ絶望的と嘆いている。