2014.11.17 マスターキー
キーと言っても錠を解く鍵ではない。今回は言葉のマスターキーになるものを考えてみた。
文章を書くとき、その時の状況によって表記が異なる場合が多くみられる。
特に書いているとき悩むのは、ひらがなにするか漢字にするかの表記の選択だ。
コラム「11月の暦」の中でも幾つかあるので示してみる。
暦の上(うえ)、何れも(いずれも)、取る(とる)、言えよう(いえよう)、夫々(それぞれ)、見ていく(みていく)、気を付ける(つける)、何故か(なぜか)、お出掛け(おでかけ)などが上げられる。漢字でもかなでもどちらを使っても誤記とはいえない。
ところが、実際表記する段になると結構逡巡してしまう。
中でも「みる」などは、多くの場面で使うので、言葉の使い分けに困ることがある。どう書くか迷ったときは「みる」と、かな表記で済ますのが無難だ。
「みる」を漢字変換すると5つほどの候補が表示される。見る、観る、診る、視る、看るの5つだが、文脈で判断して選ぶことになる。変換を間違えると恥をかくことにもなる。
「景色をみる」は漢字では「見る」、「観る」のどちらかを使う。「医者がみる」は「診る」が妥当だ。少々ややこしいのが「視る」で、「注意深く視線を注ぐ」場合に使うと辞書に記されている。
変換に出てこないのが、「看る」で看護士の「看」に使われているので、「病人の具合を看る」などに使う。「患者を見る」と「患者を診る」さらに「患者を看る」とでは、微妙なニュアンスの違いを感じる。
文字で表現するのと話すのとでは、上記のように音では区別できない言葉を使うので、慎重にならざるを得ない。そんな状況を回避する鍵はかな(カナ)表記で、これはマスターキーのようなもので、どんな局面でも通用するのでとても重宝だ。
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