生物百様は散歩中に見かける草木・花を題材に、図鑑などを参考に着色して紹介する。
第376号は ヨルガオ(夜顔)
「ヒルガオ科ヨルガオ属の一年草。「よるがお」は夜咲く朝顔に由来するが、属名はギリシア語の「夜美しい」という意味がある。」画像クリックで拡大 。
2024.9.12 諺集に見るわが人生(301)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「す」を、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「好きこそものの上手なれ」どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ。「上手なれ」の 「なれ」は 「なり」の未然形で、「こそ」に応じた係り結び。
誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。
芸事は無理して嫌だと思いながらやっても、成長はないということ。
(例文)好きこそ物の上手なれで、絵を描くことが好きな妹は最近漫画コンクールで賞をもらったらしい。
うまいか下手かは別として、私は絵を描くのが好きだ。だから、このHPも絵が中心に構成されている。飽きないのである。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」程度を超えているというのは不足していることと同じことであり、良くないことであるということを意味している。このため物事というのは程々にするのが良いとされている。
(由来)孔子の弟子である子貢が、子張と子夏のどちらが優れているかを孔子に問うたことがあった。そこで孔子は、子張はゆき過ぎていて、子夏はゆき足りていないと答えた。それを聞いた子貢は、ならば子張の方が優れているのかと再度孔子に問うたところ、孔子はゆき過ぎているのは、ゆき足りていないことと同じであると答えた。孔子は中庸を徳の最高指標としていたことから、ゆき過ぎていても、ゆき足りなくてもどちらも好ましくないと考えていた。
(原文)子貢問、師与商也孰賢。
子曰、師也過、商也不及。曰、然則師愈。子曰、過猶不及。
徳川家康は論語を学んでいて、過ぎたるは猶及ばざるが如しの考えを推し進めていた。その全文「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
(例文)残業もほどほどにしなさい。過ぎたるは猶及ばざるが如しだ。
次回に続く。
◎URLの右端のCの頭に矢印のついた記号をクリックすると最新の情報に更新されます。
◎2022年までの記録はアイコン「過去のページ」をクリックしてご覧いただけます。
日常細事のボタンをクリックするとバックナンバーを見ることができます。日常細事はスマートフォンでもご覧になれます。
http://papars.net/2024/smartphone2024_epi/mobile2024_epi.htmlスマートフォン用「画像借景」では画像をご覧いただけます。
http://papars.net/2024/smartphone2024_epi/image2024_epi.html/English newversion here