説明文は「別冊太陽ムック北斎富嶽三十六景の旅」より引用
上総ノ海路
房総から江戸へは五大力船と呼ばれる百石から三百石の輸送船によって米・酒・醤油など様々な生活物資が運ばれた。
本図はまさにその五大力船が二隻、帆を張って航行するところを描く。帆と帆綱の間から小さく富士が見える。水平線はゆるやかな弧を描いて表
らわされ、右側の陸地は三浦半島である。半島と富士の位置から、本図で描かれた地点は安房郡鋸南町勝山辺りの海上と推定されている。船の細部にわたり正確に描いている。
青山円座松
円座松とは龍石寺の庭に円く生い繁った笠松のことをいう。
「江戸名所図」には庭内の様でが揃かれており、一本の松の巨木の隣に身の丈を超える笠松群が円を描くように植え込まれているのがわかる。
北斎はこれを築山の上から眺めながら冨士も遠望できるという配置にしている。三角形に近い直線的でシヤープな富士をあえて大きく描き、近景の丸っこい丘のような笠松群との対比を面白く見せている。築山の上で宴を開く人々は絶景より酒のようだ。
甲州伊沢暁
伊沢は甲州街道甲府宿のひとつ手前の石和宿(現在の笛吹市)のこと。石和宿は鎌倉往還道と青梅街道が合流する宿場で大変栄えたという、図は早立ちの人馬で賑わう宿場の様子を大蔵経寺山付近から描いている。画面右側にいるのは甲府へ向かう人たちで、長持を担ぐ人足や馬、駕籠で旅立つ人々を細かく描いでいる。富士は宝永山が左にある甲州側から見た「裏富士」として描かれ、朝焼けの空を背景に逆光ぎみに表される。宿場もまだ溥明りのなかにあり、色数を抑えた描写は的確である。
相州箱根湖水
箱根湖水とは芦ノ湖のことで、波もたたない静かな水面が描かれている。箱根の急な山道を通って湖畔に出たところ、という視点てある。概念的なすやり霞の間から鬱蒼と繁る杉林があちらこちらから鋭角的な三角形
をのぞかせて画面に変化をつけている。冨士は左奥に雪を冠って見え、右奥の大きな山は駒ヶ岳であろうか。その下方の松林の間に見える社は箱根権現であろう。人馬のまったくない静かな風景画となっているが、どこ
かもの足りない。
甲州三坂水面
甲州街道石和宿から鎌倉往遠道の険しい道を南東に10kmほど登ると御坂(三坂)峠に至る。ここから眼下に宿士五湖のひとつ、河口湖の湖水が広がり、しかもその湖面には富士が逆さに映る。本図では湖面に映る富士は左にずれ、雪を冠った美しい二等辺三角形の理想的な姿で描かれる。一方、遠景に見える実際の富士は、ゴツゴツとした岩肌を見せる夏の富士である。虚実の対照を示す北斎の意図がみえる。湖水に浮かぶ一隻の小舟
が虚の富士を目指し、画面に変化を与えている。(スライドでは表記が甲州三島越と誤記されています)
相州江の島
対岸の片瀬海岸から江の島を真正面に見たところ。江の島弁財天は江戸の人々にとって絶好の物見遊山の場所であり、絵地図や案内書も多く出版された、今まさに干潮時で、一筋の砂州が生じて人々ば馬や駕龍、徒歩などで島へ渡った。砂の道を表す点描法が効果的である。江の島の参道の両側に旅宿や土産物屋が軒を連ねるさまを、定規を使って引いだような直線で三角形の屋根を重ねて表す。右端に帆をおろした船を描き、その先の富士に注意を向けさせている。
甲州三島越
三島越は鎌倉往還道のことで甲府から御坂、富士吉田を通り籠坂峠を越えて御殿場、三島へと抜ける道だ。本図は籠坂峠の険しい山道から富士を望んだところだろう。画面中央に巨木を配し、あまりの幹の太さに旅人たちは驚いて手を繋ぎ合って太さを計ろうとする。この大木を袈裟懸けにするかのように、背後の富士の稜線が画面中央を横切る。巨木と富上の真っ向対決といった勇ましさがある。湧き上がる夏雲や山頂にたなびく笠
雲が富士を応援している。
身延川裏不二
身延川は従来富士川の別名とみられてきたが、『甲斐国志』によると、久遠寺周辺を流れ、波本井川に合流する川を指す。そして、本図は久遠寺門前の身延道沿道から切り立った崖の間に富士が見える趣向である。富士は甲州側から見える「表富士」で、谷から湧きおこる白雲の群れが、奇岩と相まって天上へ突きぬけるような動きを感じさせる。川は激しい流れのようで、北斎は得意の点描を用い、さらに波が折り重なっているかのように描いた。
山下白雨
白雨とは夏の夕立のことである真っ黒に塗り込められた富士の裾野に、巨大な稲妻が一閃する。そこには当然駿雨が降り注ぐであろうが、画中では漆黒の闇の中の出来事として、見る者り想像に任せて
いる。富士の山頂は快晴で瑞雲のように文様化された雲が、紺碧の空を背景にたなびく。画面の上半分が晴れているため、富士の左奥に描かれた山は緑に覆われた姿を見せている。まるで上下が天国と地獄のようだが、地獄のさまは闇に隠して見せない。
品川御殿山ノ不二
御殿山(現在の北品川三~四丁目)は、寛文の頃に吉野桜の苗を植えてのち桜の名所となった。図はまさに花見を楽しむ庶民の姿を活写している。敷物を広げて酒宴を催す者、茶店で休む者、酔って扇を広げて手踊りしながら歩く侍たち、子供をおぶって花見を楽しむ夫婦など、今も昔も変わらぬ花見時の風俗だ。茶店の前で左手を挙げる小僧が担ぐ風呂敷には山形に三つ巴の印があり、これは版元水寿堂西村屋与八の商標だ。富士遠望
の邪魔にならないよう桜の枝が取り払われている。