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 改訂版 日本のならわし(礼儀) 


(1)伝統文化(2015.11.11)

 古くから日本では風習(慣行)という伝統が、文化を生み出した大きな要因となっている。
 農耕民族とも言えるわが国ではずっと昔から天の恵みに大きく依存してきた。そのため暦が重んじられ、月の運行に従って定められた陰暦によって祭祀が執り行われた。こうした祭りごとが伝統文化へとつながっている。これまでも季節の移り変わりを示す二十四節気については多く取り上げてきたが、改めて伝統文化との結びつきについて検証する。
 伝統文化とは「 これまでの長い歴史の中で形成された中でも特に普遍的に重んじられてきたもので、地域に根ざし 地域社会の生活様式と共に伝承されてきたものを言う。それは祭事や神事、伝統芸能や風習・行事として地域文化として伝えられてきたものや、かつては日常 生活の道具として使用されたものが、使用価値から美術的価値や工芸品的価値に形を変えて、その技法は匠の技として継承・伝承されてきたものによって育まれてきたもの」と事典では定義づけている。
 例を上げて見よう。11月8日の"時の風物詩"で紹介した鶴岡八幡宮の末社、丸山稲荷社の火焚祭では「鎌倉神楽が奉納され、神楽の庭には五色の切り紙で飾られた山飾りが設けられ、湯立てを中心に、初能、御祓、御幣招き、湯上、かき湯、笹舞、弓祓、剣舞、毛止幾などの神楽が素朴な舞と笛、太鼓の音色を伴って奉仕される」と紹介したように、人と神とのつながりを祭祀として執り行う神事は、日本の一大年中行事であり、あらゆる地域で形こそ違え、天の恵みに感謝する習わしとして長く伝承され、今も守られている。
 一方で、新しい国を作ろうとするために、古い文化を否定するという形をとる国も多く存在する。それも有形・無形の文化を根こそぎ抹殺しようとする「焚書坑儒」(中国秦の時代)に似た暴挙が行われている。それにより何千年も続いた文化遺産が破壊されている。取り返しのつかない過ちを犯すのも人の世である。
 せめて日本では、こういう形で長い時間をかけて築き上げられた文化を失わぬよう、しっかり守ってほしいものだ。

(2)ありがとうの表現(2015.11.7)
「温故知新」という諺がある。もう一度自分の周囲の風習を調べてみた。
「ありがとう」の言葉が無い、別表現の地域を上げてみると次のようになる。山形県「もっけ」福島県「たいへん」「してもらって」愛知県・福井県・大阪府「おおきに」岐阜県「うたてー」そして「きのどく」は石川県・福井県・富山県でも共通。新潟県「ごちそうさまです」 富山県「ごちそうさま」新潟県「ごちそうさまです」 富山県「ごちそうさま」石川県「ようした」鳥取県「ようこそ」山口県「たえがとうございます」高知県「たまるか」島根県「だんだん」熊本県「ちょうじょう」沖縄県「にへーでーびる」など中には全く想像もしない言葉があるのに驚かされる。

(3)日頃のあいさつ(2016.1.15)
 日常私たちが取り交わすあいさつは、同じ内容でも、目上の人や同僚、異性に対する対応は微妙に異なる場合がある。色々な例を引いて、その違いを探ってみることにする。
 同じ意味を持つあいさつ(挨拶)に関しては、類語辞典などにも載っているが、その使い分けについてはっきり解説したものは見つからなかった。
 そこで、個々の表現については類語辞典を参照しながら、手探りでまとめていく作業になってしまった。
 先ず朝のあいさつから入ることにしよう。朝のあいさつは「おはよう(お早う)」が一般的だが、「お早うございます」が丁寧な表現である。男友達同士では「おっす」で済んでしまう。これらは対人関係によって使い分けられるところが面白い。
 昼になると表現が変わる。広く使われる言葉が「こんにちは(今日は)」である。この語源を探ると、「今日は結構なお日和(ひより)ですね」という言葉の下の部分を略した形。したがって最後の「ワ」と発音される部分は「は」と書き表すのだという(国語辞典:旺文社)。
 「こんにちは」にしても省略形が見られる。「チワー」などと短くしてしまう。なぜか「コン」ではない。コンという音が狐の鳴き声や人の咳の音と似ていてコンラン(混乱)するせいかも知れない。英語のハイ(hi)などは、「チワー」に似た簡略なあいさつの言葉である。「挨拶は短ければ短いほど良い」とはスピーチの話だが、どこの国でも親しい間柄では、こうした簡略な言葉が交わされていることであろう。
 夜になると「こんばんは(今晩は)」に変わる。これは昼間のあいさつに比べ、方言が豊富で「おばんです」など、それぞれの地域で異なるようだ。
 次は別れる時のあいさつは「さようなら(左様なら)」が最もポピュラーだ。他の表現としては「さいなら」「さらば」「あばよ」「またね」「失敬」「失礼」「御機嫌よう」「バイバイ」「ハイチャ」と実に多彩である(類語大辞典:講談社)。

(4)お礼のあいさつ(2016.1.19)
 お礼の言葉に属するものに「どうも」という言葉がある。実は本来この言葉は「どうもすいません(林家三平さんで有名)」と、次に続く言葉があってまとまるのだと思うのだが、何故か「どうも」と単一でも使われる。婉曲になると「どうも、どうも」と重ねたりして使う。非常に重宝な使い方が出来、本来の意味は「時間帯に関係なく気を使わなくていい人に対する軽いあいさつの言葉」と一応の定義はあるようだ。
 「どうぞ」などもそれに似た使い方で「どうぞ、どうぞ」などと重ねることもある。意味としては許可に類する言葉と言えよう。
 「さよなら」も「お疲れ様です」という風に変わる。これもいくつかに変化する「お疲れさん」「お疲れ」のように人間関係で変化する。
 「ご苦労様」は目下の人に対する労をねぎらう言葉で「~明日もよろしく」と続けて使うのが一般的で、目上には使わないとされているが、その辺の使い分けは混乱している。
 「お世話になります」「お世話様でした」「世話をかけて申し訳ない」など、あれこれ人に頼って必要なことをしてもらった時のあいさつである。同様な意味では「面倒をおかけします」「お手数おかけしますが」「お手間を取らせます」「厄介になります」などを上げることができる。
 感謝の言葉の最たるものは「ありがとう」だと思う。この言葉は方言が多く「(2)日頃のあいさつ」で示したような表現がある。
 外国人にとって、日本語は難しいという話をよく聞く。どうやら外国人にとって日本語の複雑さと曖昧さが理解し難いからだろう。例を上げると日常の挨拶一つとっても「おはよう」「こんにちは」「さようなら」を英語に置き換えると「good morning」「good afternoon」「good bye」となり、こちらのほうが意味が明確である。
 それぞれの国の宗教観のところでも触れたが、日本においては、ここでもあいまいさが付いて回る。
 日本の偉大な哲学者中村元(なかむらはじめ)氏はその著書「日本人の思惟方法」において「一般的に言いうることであるが、日本語の表現形式は、論理的正確性を期するというよりは、むしろ感情的・情緒的である傾きがある。日本語は事物のありかたの種々なる様態を厳密に正確に表示しようとしないで、ただ漠然と、ほのかな感情をこめて表現する場合が多い」と述べている。
 この言葉を裏付けるように、確かに英語(多分欧米を含む文化圏)では言葉の表現が論理的で明確である。従って、日常生活の中で不明確で論理性に欠ける会話が飛び交う日本語の理解に苦しむことになるのだろう
 会話に関しては、同じ日本人のでありながら、お国言葉となるとさっぱり通じないものがある。沖縄の古い言葉は私からすれば、英語より理解し難い。これは極端な例であるが、意味は通じるが、表現の仕方や、イントネーションの違いが、多くのお国訛りとして現存している。関西弁と言っても、京言葉と大阪弁とでは結構違う。例を上げると「言わはる(京)」→「言いはる(大)」、「そや(京)」→「せや(大)」といった具合に。東京の言葉は標準語にはなっているが、「ひ」と「し」が混同されているという地方色が見られる。
 こうした多様な言い回しの違いは、日本独自の文化が創り出した副産物なのかもしれない。

(5)お国柄を表すあいさつ(2016.1.23)
 思い浮かぶままに取り上げてきた日常交わされる「あいさつ」の言葉も最終章となる。残った言葉は「いってらっしゃい」「おかえりなさい」「いただきます」「ごちそうさま」など。これらについてどんな言い回しや方言かあるのか、少し詳しく調べることにした。
 「いってらっしゃい」は「お気をつけて行っていらっしゃい」の簡略形のようである。お国言葉で表現すると、山形県「きーつげで、えっしゃえ」となり、いかにも東北地方を偲ばせる言い回しである。静岡県では「いっちませい」といういい方があるようだ。「ませい」という語尾は一種の丁寧語の命令形だそうである(Goo辞書)。キツイ表現に置き換えると「いってこい」になってしまうので、あいさつが喧嘩の元になりそうで怖くて使えない。
 お叱りを受けることを覚悟で続けると、岐阜県では「いっておんさい」という言い方があるが「おんさい」と変化するのは美濃弁(みのべん)と言い、岐阜県南部の美濃地方で話される日本語の方言なのだそうだ。大阪では「ほな、いってきーや」とこれは河内弁か?
 つぎのあいさつは「おかえりなさい」であるが、これは人を迎える時に使う。簡単に「お帰り」とくだけた表現をすることもしばしばある。関西方面だと「おかえりやす ・ お戻りやす」などと柔らかい言い回しになる。確かにこうしてみると関東はキツイ表現。関西は柔らかい表現に聞こえるかもしれない。
「いただきます」「ごちそうさま」は食事のときに使う言葉。「いただきます」は「 ゴチになります」「 頂戴します」などとも言う。 また「ごちそうさま」は「ゴチソウサン」「 ごっそさん 」「 ごっつぁんです」などという言い方もある。
 以上だらだらと書き連ねたが、紹介した「あいさつ」の言葉はほんの一部に過ぎない。それだけ日本人は昔から「思いやり」を大切にしてきたんだなと書いていてつくづく思う。
 武道の世界では「礼に始まり、礼に終わる」と言われるが、普段の生活の中で「あいさつ」は潤滑油のような働きをしているのだろう。 







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