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 改訂版 老後の楽しみ方


 老後の楽しみ方であるが、このコラムでも少し触れたように趣味や習い事でも百花繚乱の感がある。働いている間は時間的余裕がなく、仕事の後で酒を飲みに行ったり、仲間を集めて麻雀をやったり、たまの休日にゴルフを楽しむのといったところがせいぜいと言ったところだ。
 一線を退くと一斉に趣味の世界に走ることになる。
 裏返せば、それだけ企業戦士に自分の生活を楽しむ暇がないという日本の特殊事情もうかがえる。
 私の友人などにも退職後に急に料理教室などに通い始め、奥方に持ち上げられてその気になって、何年も続けて、普段家庭で食する料理は殆どマスターし「俺の味噌汁は絶品だ」などとうそぶいている者もいる。ただし、間に合わせでは出来ず、仕入れから始めなければ収まらないところがダメと奥方に釘を刺されている恐妻家でもある。
 総じて身体を動かす方に興味が向くようで、これは老化を遅らせる上でも効果があり、正しい選択と言えよう。昔仲間とゴルフを楽しんだり、ハイキンググループに参加して、毎月山歩きを楽しむ者もいる。中には毎日スイミングクラブで泳いでいる、80歳を超えた友人もいる。
 ゴルフなどは金がかかるが「歩こう会」などのような同好会は手軽で、足腰を維持するには良い。私もそういう同好会に所属して近郊のハイキングコースはほぼ歩いた。腰を痛めてからは一人で歩けるウォーキングに転向せざるを得なくなってしまったが。
 健康で暇と金の余裕のある友人は、夫婦であちこち旅行するのが趣味という者もいる。これは羨ましい身分で、残念ながら私には縁がない。
 老後の趣味や道楽といったものは、何かしないと落ち着かないというのがその根幹にある。
 様々な趣味(道楽)に走ることになるのだが、それぞれの事情(金銭的状況と健康状態など)で向かうところは違うが、同年輩の知人たちに話を聞いてみると、思った通り何もしていない人は稀だ。何をするかはその人の自由で、例えばパチンコや競馬にと賭け事に毎日を過ごす者などは、麻薬中毒者みたいなもので、負けても負けても止められない。金のことは二の次らしい。頭を駆け巡るエンドルフィン(脳内モルヒネといわれている)が起こす高揚感が堪らないのだという説もある。
 身体や指先、眼力などと言った体幹を使う趣味や道楽もある。一人ででき、純粋に楽しむ趣味だ。天気のいい日にキャンバスを抱え、街の片隅で黙々と筆を揮う初老のグループ。何処かの絵画スクールの生徒だろう。陶芸教室に通うものも多い。その手の趣味はどんどん作品が増え、売り物ではないから、家の中をいつの間にかギャラリー化してしまう。その人が逝ってしまうと、きっと遺族は後始末が大変だろう(私の本集めやモノ集めも、それに属する)。
 収集趣味というのもある。ご存知の骨董趣味である。真贋の見分けが最も難しい趣味で、名品というものを手にすることは無い。何百万円払って手に入れた有名な作品が、鑑定結果5千円なんて話は珍しくない。ところが収集家は懲りることなく偽物を買い続ける。トレジャヤーハンターみたいな人種である。
 大体道楽には「反省」の二文字が欠けている。彼らも同様何かに駆られて動いているところに生き甲斐を見出しているのかも知れない。
 頭を使う趣味だってある。学生時代は勉強は禄にせず、遊んでばかりいた者が、急に外国語を習い始めたりする。どうやら海外旅行を一層楽しむつもりらしい。主にヒヤリングと会話を習得したいつもりのようだ。大概は途中で挫折したり、実際の役には立たないものだ。大体言葉は幼児のように「習うより慣れろ」で、そう簡単に身につくものではない。そっちの方はツワーガイドなどの専門家に任した方が無難である。沖縄の人と東北の人が方言で会話したら、ほとんど通じ合わないだろう。外国にだって方言(スラング)があるから、推して知るべしである。
 人の趣味に棹差すようなところから始まってしまったが、心機一転無謀なチャレンジをするもよし。
 芭蕉や蕪村の向うを張って、俳句(川柳)や短歌などをうたう人も多い。新聞を見ると、必ず選出された歌が掲載されるページがある。それほど人気がある証拠である。私も「風楽」などと雅号を付けて、時々日常細事に載せる。評価は別として、17文字または31文字(みそひともじ)に自分の感性を表現する。頭をひねることになるが、言葉の字数以上の情景描写ができる。人の想像力をかき立てるところが良い。それだけ難しく奥が深い。
 これは何回も書いてきたが、同世代人にはあまり流行らない(苦手とされる)のがパソコンやスマホなどの電子情報ツールの使いこなしである。若者には必需品の道具が、年寄りには馴染めないのが残念だ。私のように、お年寄り向けの情報発信するものにとっては、対象の目に届きにくいのが一番の障壁になっている。
 月々1万円のコストは見合わないというのが、その理由だろうが「情報」に関しては、オールマイティーの世界に誘ってくれるツールである。私などにとっては、道具(モノ)の筆頭に位置するのものだ。
 その魅力は、電子化された情報の世界にも趣味になるアプリ(ソフトウェア)にある。
 例えば囲碁・将棋・麻雀など殆どのゲームはパソコン(PC)でできる。それも対戦型といってインターネットを通じて、人同士で遊べるので、リアルタイムに対戦を楽しむことができる。無論PC相手の対戦もできる。最近のアプリは人工知能が組み込まれていて、相当なレベルにあり、手応え十分である。
 このように一種の仮想空間で遊ぶことができるので、運動が不得意な人でもサッカーや野球を自分が参加しているような感覚で楽しめる。実際に筋肉を使うわけではないので、身体を鍛えることには結びつかないが、身体が不自由な人にも遊びの世界が開かれていることになる。これからもインターネットの広がりにより、バーチャルなゲーム世界は、年齢を超え大きな拡がりを見せていくことだろう。
 老後の趣味は、人によって思いもよらない展開を見せるものだ。マッチ棒や割箸でお城を作ってしまう世界だってある。
 数多ある中から選び抜いて始めた趣味ゆえに、じっくり時間をかけて、楽しみながら自分のものにしなければ、何とも虚しい。趣味を始めたら先ずは続けることだ。そうすれば花も咲き、実の結ぶ時は必ずやってくると信じよう。自己満足で結構。それは人のためでなく、自分のためにしていることだから。
(2015年7月掲載のシリーズを再編集したもの)






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