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 改訂版 写楽解説一の巻 スライドショウでご覧ください

 今までに掲載した人物百想の写楽の歌舞伎絵を解説付きで再編集して紹介する。第一回目は最初から10枚目までについて解説する(参考文献は別冊太陽183号日本の心)。江戸歌舞伎の舞台で役者がここ一番の見せ場を作る。この一瞬をダイナミックに捉え、迫力満点な絵を描いて見せたのが、江戸寛政時代に異彩を放った、絵師「東洲斎写楽」である。
 写楽の作品は大きく四期に別れるが、最も評価の高い第一期から二期にかけての大首絵と言われるもので、寛政6(1794)年に出版された豪華な黒雲母摺りの大首絵28枚である。一の巻はその中の10枚である。

三代目大谷鬼次の江戸兵衛
 写楽第一期の作品群の中で最も人気の一枚であろう。役名を「奴江戸兵衛」のワンカット。懐から突き出された両手の印象が強列であるが、絵本番付の「西条河原の場」でも、右手の指を広げ、前へ突き出す江戸兵衛が描かれている。写楽は表情を重視したためか両手のあり万か不自然だが、そこがこの作品の鮮烈な魅力となっていることも事実である。

三代目市川高麗蔵の志賀大七
 後に父の跡を継いで。五代目松本幸四郎となる高麗蔵は、当時人気上昇中の花形で、特に女性から絶大な人気を得ていた。この時、役者の芸評を記した定期刊行物「役者評判記」での役柄は立役であったが、本領は敵や悪にあり、後に実悪首位の役者となっていく。本図は、固瀬村の場で、尾上松助が演じる松下造酒之進を殺害するところを描いでいる。懐から刀を握り前面を凝視する表情からは、これから起こる緊迫した場面が想像できる。若く甘いマスクが読み取れ、年齢を巧みに描き分ける写楽ならではの表現力ということができよう。 
 
三代目坂田半五郎の藤川水右衛門
 この芝居は二代目半五郎の十三回忌追善であった。先代が得意とした水右衛門を、実悪首位の当代が演じたまさに三代目半五郎のための演日といえよう。
 水右衛門は父石井兵衛を殺した敵として源蔵、源之亟、半次郎兄弟に狙われる。本図は従来から、源蔵を返り討ちにする場面とされてきたが、他の説もある。

四代目松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛
 上方出身で江戸へ下り、最初、瀬川菊之丞の門弟後に四代目市川團十郎の弟子となった。幸四郎は師の前名である。写楽が描いた寛政六年時は58歳の老齢で、顔に深く刻まれた皺を写実的に描いている。

三代目市川八百蔵の田辺文蔵
 二代目沢村宗十郎の子で、人気役者だった三代目は弟にあたる。役者評判記に「面体堅実、立役の諸芸に達したる人なり」とあるように、堅実な顔立ちながら、地芸、所作事に優れ、女性ファンも多かった。同じ役者をほぼ同じパターンで描く写楽としては珍しく、八百蔵の顔は一定していない(他の演目、八幡太郎源義家とは別人のようだ)。

市川鰕蔵の竹村定之丞
 前名は五代目市川團十郎。寛政三年十一月に子に名跡を譲り、鰕蔵と改めてからも、江戸随一の役者として劇界に君臨した。高く大きな鼻は有名で、写楽の絵からもそれが見受けられる。吊上がった眉の下の眼は生きている。引きゆがめられた口もとからは今にも声がもれそうである。顔面の屈線はえぐったように鋭く、物すさまじいまでに、当時役者の王者であった蝦蔵の偉大な芸格、風貌が精一杯にとらえられている。この絵は写楽の代表的傑作とされている。

三代目市川高麗蔵の新田義貞実は小山田高家
 四代目松本幸辛四郎の子で、子役の時から舞台に立ち、写楽が描いた頃は色気のある花形役者として女性ファンが多かった。悪の要素が際だつ役者であったため、後に立役から実悪へ転向している.当時としては長寿で天保九(一八三八)年に七十五歳で亡くなる直前まで舞台に立ち、歌舞伎界の重鎮として君臨した。

三代目沢村宗十郎の大岸蔵人
 寛政7年の役者評判記によれば、当時江戸で最も人気のある立役であったと記されている。写楽が描いた大岸蔵人役は、宗十郎が生涯の当たり役とした「仮名手本忠臣蔵」大星由良之助と同様の役どころである。卵型の輪郭に愛くるしい瞳が特徴的な華のある顔であるが、写楽は42歳の現実を二重顎に反映させている。

三代目坂東彦三郎の鷺坂左内
 由留木家の執権である左内は「追放の場」で勘当された与作に駆け寄る重の井を見つけ、与作を逃がす「恋女房染分手綱」は人気の演目であった。暗闇の庭を左内が手燭で照らし、重の井を見つけるこの場面を、写楽は手燭という小道具を役者の顔とともに画面に描き込んだのであった。

三代目沢村宗十郎の孔雀三郎なり平
 写楽の活動期は寛政六年(1794)五月に売り出された大首絵二十八図を皮切りとして、翌年一月までとされている。この期間に役者絵を中心として百四十四の浮世絵が発表されている。
 活動期は四期に分けられる。その第一期 現在、写楽の代表作といえば、この時期のものになる。寛政六年五月の都座、河原崎座、桐座の三つの芝居小屋に取材した役者絵で、黒雲母摺の大首絵二十八枚である。役者の内面を捉えたかのような大胆なデフォルメが時代の絵師とは隔絶したものがある。この孔雀三郎なり平もその中の一枚で、前掲の大岸蔵人とくらべてみても顔がそっくりである。非常にデフォルメしている中でも共通のものを持つ一作である。






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