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2016 春節(横浜中華街の牌楼)スライドショウ

 2月7日(日)に横浜中華街を訪れた。明日から春節(旧正月)ということで、街は多くの人で賑わっていた。催し物は夜から始まるようで、それが目当ての人もいるのだろう。街中が既に盛り上がりを見せていた。
 今回の取材は春節ではなく、中華街にある独自の門(牌楼という)を撮影することにあった。
 中華街には10基の牌楼が建っている。中でも東西南北に位置する4基には歴史的に意味があるという。
 中国では古来より城郭を築く時には、占星術にならい邪気を見張るために、東西南北に限って通路を開き、そこに門番を置いたと伝えられている。
 それらの門に「春夏秋冬」「朝昼暮夜」という陰陽五行説に基づく色「黄赤白黒」で彩られ、各方位の守護神としての四神が据えられている。
 その伝えの通りに中華街の門も置かれているが、今回の取材は東横線の中華街駅の元町側よりから始めたため、朱雀門(南・赤)からの撮影となった。夫々の写真は道順に従ったため、殆んどを撮影できたが、順番に一貫性はない。写真はスライドショウで一纏めで紹介することにしたので参照して頂きたい。
 最初の朱雀門(タイトルに続く1-2コマ)は、厄災を払い、大いなる福を招く。守護神は朱雀神。なお、門の入口側の文字は「中華街」で統一されており、出口側にそれぞれ固有の名称、例えば「朱雀門」という銘板が掲げられている(柱の色は赤)。
 3-4コマ目の写真は神社の鳥居のようなもので、横浜天后( ティンハウ )宮という。この寺は「2006年(平成18年)3月17日に、横浜媽祖廟は開港から150周年を迎える横浜の新名所として落慶開廟した中国のお寺。台湾最初の官建の台南市大天后宮(媽祖(まそ)、香港では天后(ティンハウ)と呼ばれる航海、漁業の守護神を祀っている廟から分霊された」とされ、後に紹介する関帝廟と並ぶ 廟堂である。
 5コマ目は中華街の正門とも言える朝暘門である。文字通り朝日が街全体を覆い繁栄をもたらすという東の守護神青龍神が守る。色は青。
 6コマ目は市場通り門で市場通り出入口、前後2箇所に門が設けられている。中華街の昔を偲ばせる小さな食べ物屋がひしめいている。食べ放題\1,680などという看板が目立つ。安いというのでなく名所だからなどだろうか、お土産の中華菓子などは高く、家の近くのスーパーなどの方がずっと安く買える。月餅などは、大きい(どら焼き程度)ので3個入り\2,860にはいささか驚いた。ちなみに饅頭などは\300が相場のようだ。
 7コマ目は関帝廟である。 1862年、一人の中国人が關羽の木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたと聞く。これが横浜の關帝廟の始まりで、現存するのは1990年(平成2年)8月14日建てられた第四代關帝廟である。記述によれば「この霊廟の主神は関羽。この関羽を神格化した呼び名が関聖帝君。武勇の誉れが高かったことから、香港の文武廟では「武」の神様として祀られている。さらに関聖帝君は、そろばんを発明したとか、簿記の方法を編み出したという伝説もあるように理財にも精通し、さらに人同士のつきあいの上で大切な信義にも厚かったことから、商売繁盛の神様としても信仰を集めている」とある。
 8-9コマ目は関帝廟通りの出口(西側)にある地久門でこの門の裏側には関帝廟道と書かれている。この門は東側の天長門(未掲載)と対をなす。
 10-11コマ目は善隣門で中華街のシンボル的門のひとつ。何故シンボル的なのか調べると「初代は1995年に建った牌楼門で、ここに中華街と描かれた銘板が掲げられたことから、中華街という名が知れていった。それまでは浜っ子は南京町と呼んでいた。1989年にリニューアルして銘板に、隣国や隣家と仲良くするという「親仁善隣」という言葉を掲げ、名称も善隣門と改称された」ところにあるようだ。
 12-13コマ目が今回取材の最後の門、西の延平門である。JR石川町駅中華街口を出て、山下町方向に進むと直ぐにバス通りに行き当たる。目の前には左右にみなと総合高校と港中学を見る門が建っている。延平門である。この門は平和と平安のやすらぎが末永く願う守護神である白虎神。柱の色は白である。
 残るは北門で玄武門(子孫の繁栄をもたらす。玄武神で色は黒)が横浜スタジアムの裏側にある中区役所の前に建っているが、残念ながら見落してしまい撮影できなかった。(ホームページから借用した)
 多くの門を見てきたが、城郭の四隅にある門とは異なり、中華街の周囲のどこからでも迷わず中華街に行き着けるための門であるという印象がした。

 



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