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山手散歩(5)異人館と教会の街


 エルスマン邸から元町公園への道を少し下がったところに「山手80番館遺構」がある。案内板によれば「この赤れんがの構築物は、関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はマクガワン夫妻の住居となっていたところ。この一帯はかつての 外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほか、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築が立ち並んで「異人館の町」を作っていたが今日なおその面影がそちこちに残っている」とある。この遺構は現在地下室部分を残すだけだが、浄化槽なども備え、当時の居留外国人の華やかな暮らしぶりを覗わせる。それとともに関東大震災の被害の凄まじさを物語っている。
 坂道を戻ると、代官坂上のバス停に出る。
 代官坂上のバス停の脇に末日聖徒イエス・キリスト教会 (モルモン教) 山手ワードがある。コンクリート製の壁面にはめ込まれた英語の銘板には「The CHURCH of JESUS CHRIST 0f LATTER-DAY SAINTS」と読める。
 山手ワードは横浜山手外人居住地の中心部にあるため、観光客がよく通りかかる場所にある。しかも、この通りは「教会通り」とも呼ばれるほど教会が建ち並び、教会巡りをしている観光客も多いという。日本で初めて宣教師が上陸した横浜の地で、会員たちはこの恵まれた立地条件を活かし、初代ビショップの時から13年間毎月オープンハウスを続けてきた。クリスマスには「1階では、20数枚のパネルや写真、映像などを使って、4つのブースでイエス・キリストの生涯、日本の末日聖徒100年史、子ども達の活動の様子、モルモン書の起源などが紹介。廊下には2013年の国際ブックフェアで教会の展示ブースに使われた、モルモン書の起源を説明する絵巻と日本の教会歴史についての図柄を再利用した230センチ?600センチほどの色鮮やかな横断幕が展示された」とその活動が紹介されている。隣にはミッションスクールのフェリス女学院がある。
 その先に山手で一番有名な教会「山手カトリック教会」がある。個人的にも半年ほど毎週土曜日にここに通って、宣教師から聖書の教育受けた経験がある。結婚式もここで挙げた。若かりし頃の思い出の建物である。ただし、私はクリスチャンではない。
 この教会の来歴には「聖フランシスコ・ザピエルにより日本宣教が始まった1549年の後、厳しいキリシタン弾圧が続いていたが、幕末の1859年開港時に日本再宣教のため、パリ外国宣教会ジラール神父らが来日した。1862年横浜居留地80番地(現横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」(聖心聖堂)か献堂された(国宝・長崎大浦天主堂が献堂される3年前の事)。これは、近代日本最初の教会であり、現在のカトリック山手教会の初代聖堂だった。
 しかし、1923年の関東大震災によって崩壊、就任間もない主任司祭ルバルベ神父はその犠牲となった。
 その後、1933年に鐘楼をもったゴチック式鉄筋コンクリート作りの美しい現聖堂が献堂された.設計者は山手教会信徒・チェコ人のスワガー氏。 この司教座教会は教区の母なる教会であるだけでなく、1988年に横浜市の歴史的建造物に認定され市の文化的建物でもある」。
 次回は山手散歩最終回「山手イタリア山公園」を紹介する。

(ムービーでご覧ください)」


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