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横浜再発見 坂の多い町

 横浜、特に海辺に近い東部は起伏が激しい地形が多く見られる。いたる道路に切り通しがある。これは高低差を除いて交通の便に供するために大工事が行われたことを物語っている。東海道神奈川宿でも紹介した青木橋などは、権現山という一つの山を切り開いて、鉄道を通した跡が歴然として残っている(写真1)。
 こうした山坂の多い地形は、高齢者には上り下りが辛く身体に堪える(写真2)。こうした場所に住宅が密集しているのだから、まるで崖にへばりつくように建っている家も多く見られ、見ている方が怖くなるぐらいだ(写真3)。
 その反面高台からの眺望は良い。家の近くの「見晴らし公園」から見る横浜の港の景色はパノラマを見るようで、ベイブリッジを遠景にMM21の高層ビル群が手に取るように見渡せる。とくに夏の花火大会には多くの人が集まってくる(写真4)。
 こうした地形はどのようにして形成されたのか調べてみると(わかるヨコハマ:神奈川新聞社発行)、先程のMM21地区のような広大な埋立地は別にして、今の地形の原形は約6500年ほど前の縄文時代にはでき上がっていたようだ。それでも東部地区は殆どが海だったと知ることができる。
 今のように低地ができたのは、富士山や箱根山の噴火による火山灰の堆積によるという。さらに川から海に流れ出る土石の堆積が低地を形成していった。
 地形の分類については、少々専門的で理解しにくいが、「山地面、丘陵地面、台地面、段丘面、低地面、埋立地に大別される。これを地域別に見ると、市域の南西から北東に向かって山地→丘陵地→台地→低地となり高度を下げていく。
 具体的に地名を入れると、三浦半島北端部の山地とそこから北方に連なる高度が80〜60メートルを示す侵食が進んだ多摩丘陵地。その北東部に広がる高度が40メートル前後で平坦な下末吉台地。これらの丘陵、台地を刻み込むように、河川により形成された帯状の谷底低地と、それに続く海岸平野。横浜港を中心とした東京湾沿岸を埋め立てた大規模な造成地によって成り立っている」と記されている。
 この記述から思うに、私が住む神奈川区は台地、低地、埋立地から成っているようで、小高い丘から見下ろすように狭い低地がうねうねと連なり、埋立地(東神奈川近辺)へとつながっている。
 こういうことを知ると、自分の住んでいる場所が、戦前は葦原であったという古老の話も頷ける。我が家は傾斜地の側面を削り取って建っているので、この辺は段丘地になるのかななどと勝手に解釈している。毎日の上り下りの生活も、住めば都ではないが、健康維持のための運動と思えば、これはこれで結構住み楽しいものだ。
 


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