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熊野神社市民の森


 少し驚いたことなのだが、横浜市内には市民の森という名がつく場所が43か所もあるという。今回訪れた熊野神社市民の森もその一つだ。後で紹介するが、この森は二つに分かれているが、地続きではない。その辺の分かり難さは実際歩いてみないと実感できない。まず道順に沿って説明することにしよう。
 東急線大倉山駅を降りて、港北区役所方向に歩いていくと、直ぐに綱島街道にぶつかる。左に曲がると直ぐに信号機がある。熊野神社入り口とある。そこを入り、真っすぐ300メートルほど進むと、左手に大鳥居が目に入る。ここが師岡熊野神社の入口となる。その大鳥居の反対側に、いの池(いのちの池)という名の小さな池がある。池の真ん中に水神様が、池の端には弁天様が祀られている。立札には「この池の中央には水神様が祀られており、例年八月水神祭りが行われる。(中略)熊野神社社殿の裏に「の」の池があり、さらに「い」の池の西方約500メートルのところに「ち」の池と呼ばれる溜池があった(今は大曾根第二公園となっている)。この三つを合わせて「いのち」の池と呼ぶ」とある。
 さて、大鳥居をくぐり高い石段を上り詰めると、そこに立派な本殿がある。境内地は約4,800坪(16,000㎡)と広大だ。ここの表示板には本神社の由緒が記されている。関東随一大霊験所から始まる長いもので「当社は関東地方における熊野信仰の根拠地として、又、横浜北部の総鎮の宮として古代(西暦724年)より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている」とあり、当社の存在の大きさを高らかに唱えている。
 指定文化財としても「熊野神社の社叢林」が県指定天然記念物として、「筒粥行事附夏越祓」が横浜市指定無形民俗文化財として、さらに「いの池と師岡貝塚」が横浜市指定史跡にされている。
 本殿の周囲を回って驚いたことは、ここには実に多くの神様方が鎮座ましましていることである。写真でもご覧いただけるように「稲荷社、天満社、山王社、白山社、道祖神、御嶽社、浅間大神、水神宮」と神様方の集会所の様相を呈している。
 これだけでなく、他にも「の」の池が裏庭にあり、 この池の水は禅浄水といわれ、どんな干天にも涸れることなく水を湛えているという。
 名木古木も多数あり、紹介しきれないほど見どころが多い。中には博物館もある。予約制なので、じっくり見物されたい向きは、予約を入れて訪れるのも一興かと思う。
 あちこち回らず裏手のなだらかな坂を下り、元の道に戻った。実はあの階段を再び下るのは避けたかったからだ。
 駒岡方面に向かいおよそ500メートル進むと、樽町という住宅街の外れに杉山神社がある。無住の神社で今は熊野神社の宮司が兼務しているという。この神社、山の中腹にあり実に危なっかしい位置取りである。裏山は木の根っこがむき出しで、その上抉れているからいつ崩れてもおかしくない。あれでは無住にするわけである。
 何故わざわざここを訪れたかというと、ここが熊野神社市民の森の入口(多分出口?)になっているからだ。社殿の脇に標示板があり、市民の森へ通じる長い階段が確りと整備されている。標高せいぜい50メートルぐらいか。神社まで半分上ったことになるから、大したことはないと高を括ってかかったら、結構きつい上りが続いた。
 頂上らしき場所に到達したので、矢印の道しるべが行く先を示しており、そこで「七曲り下り」を選んで進むことにした。行き交う人もない小道で、鶯の声も聴かれ、自然を満喫できた。本当に七曲りが終わると突然住宅街に出てしまった。そこには何の標識もない。おまけに住宅街の突き当りである。ここから市民の森に入るとは想像すらできない。もう一度あそこに行けと言われても、私のような方向音痴には不可能だ。
 全行程2時間余り、結構楽しめるコースだった。近くには獅子ヶ谷市民の森もあるので、健脚の人なら半日で二つの市民の森を踏破できることだろう。
 鎮守様 裏の森道 分け入りて うぐいすの声 聴くぞ楽しき (風楽)

(スライドショウでご覧ください)」


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