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横浜の寺社 総集編(2) スライドショーはこちら


 今までに紹介した市内の名所旧跡など中で、歴史のある寺院と神社だけを集めて再編集した。各建物の解説はホームページ「猫の足あと」を参照させて頂いた。写真はスライドショウでご覧いただけるようまとめた。
 由緒あるこれらの建造物には共通点がある。それは長い歴史に耐えるだけの堅牢で、随所に宮大工の匠の技が光る。そこに行くと何んとなく安らぎのようなものを感じるのだ。それは狭い住宅になれた者にとって、別次元の広い空間が生み出す解放感とでも言ったものがあるからだろう。
 第2回は横浜の東海道で紹介した西区、保土ヶ谷区、戸塚区の寺社から14か所をご覧いただきたい。

1.浅間神社
浅間神社(せんげんじんじゃ)は神奈川県横浜市西区にある神社。旧・芝生村(しぼうむら、現在の浅間町)の鎮守であった。横穴古墳が密集する袖すり山と呼ばれる丘の上に立地している。西区浅間町1-19-10

2.橘樹神社
橘樹(たちばな)神社は、かつて牛頭天王社と称し、当地名天王町の由来ともなった神社で、文治2年(1186)に、京都祇園八坂神社を勧請して創建したといわれている。大正10年に橘樹神社と改称、第二次世界大戦後、隣接していた神明社を境内社とした。保土ヶ谷区天王町1-8-12

3.神明社
鎌倉時代、榛谷重朝が支配していた当地一帯を伊勢神宮へ寄進していることから、当地が伊勢神宮の荘園(榛谷御厨)になって以降、産土神として存在していた当社に天照大御神を祀った、とも考えられる。北保土ヶ谷宮林とは、現在の霞台という説がある。 なお、この書に登場する「北保土ヶ谷」は、保土ヶ谷の地名の最も古い記録である。保土ケ谷区神戸町107

4.大蓮寺
日蓮宗寺院の大蓮寺は、妙栄山と号す。日円(正保2年1645年寂)が慶長13年(1608)に創建、日蓮上人が泊まった家を法華堂に改修したのが寺の始まりであるといわれている。保土ヶ谷区神戸町98

5.遍照寺
高野山真言宗の遍照寺は、医王山延壽院と号す。創建年代は不詳ですが876年開山とも伝えられ、僧賢海が寛永10年(1633)当寺を再興したといわれている。東国八十八ヵ所霊場27番。保土ヶ谷区月見台38-31

6.外川神社 
はじめ外川仙人大権現と称しましたが、明治二年の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を外川神社(とがわじんじゃ)と改めた。その神験は著しく、ことに小児の虫封じや航海の安全に御利益があったとして、遠近から参詣する者が絶えなかった。保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町194

7.樹源寺
妙秀山 樹源寺は鎌倉時代末期まで、東方山医王寺という真言宗の巨刹(おおでら)だったが、兵火にかかり薬師如来を安置した薬師堂のみを残して一時期廃寺同然となった。後、寛永年間( 1624-44 )になり、保土ヶ谷宿本陣刈部吉重の室(奥方)が日蓮聖人の御教に深く帰依され妙秀尼(みょうしゅうに)と号し、焼け残った薬師堂の大欅(おおけやき)の傍らに庵を結ばれ、師の善通院日了上人を招いて日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として開山致した。保土ケ谷区保土ケ谷町3丁目172

8.境木地蔵
境木地蔵(さかいぎじぞう)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区にある、地蔵菩薩を祀る仏堂。旧東海道の権太坂頂上にあり、武蔵国と相模国との国境にあたる。地蔵堂はもとは良翁寺の境内にあったが、同寺は関東大震災で被災して廃寺となり、現在は地蔵堂と江戸の吉原の寄進による手洗い鉢のみが残る。堂の所在地は旧東海道の権太坂頂上にあたり、江戸時代は茶屋が多く大変賑わった。また茶屋では焼餅が名物で、地蔵尊より戸塚よりの坂は焼餅坂とよばれる。また地蔵尊より数百メートル戸塚よりには、品濃一里塚(位置)が江戸時代のままに残されている。保土ケ谷区境木本町2-17

9.妙秀寺
日蓮宗寺院の妙秀寺は、身立山と号す。妙秀寺は、豊島修理大夫某の母が開基、日修が開山(永和3年1377年寂)となり延文元年(1356年)創建したといわれる。妙秀寺の開基は、当時、武蔵国豊島郡を支配していた桓武平氏の血を引く豊島氏一門の一人、妙秀禅尼。豊島氏は日蓮宗の宗祖、日蓮上人在世の頃より熱心な法華教の信仰者でした。妙秀尼が寺院の基礎を築かれた後、身立院日修聖人が開山として、それを確たるものとしたという。 
以来、二人の功績をたたえ、それぞれの名を山号・寺号に、身立山妙秀寺と称している。戸塚区吉田町1034

10.宝蔵院
真言宗大覚寺派寺院の宝蔵院は、東峰山と号す。宝蔵院は、阿闍梨朝興法印が天文16年(1547)創建したといわれている。戸塚区吉田町935

11.木之間稲荷
伏見稲荷大社より御分霊を勧請したとされる。元々、相州戸塚宿吉田本町字宿下の住民が五穀豊穣を祈願する素朴な敬神の心を以て、江戸時代中期(約200年以前)に創建されたという。戸塚区吉田町(643)付近

12.子之八幡社
創立年代は不詳であるが、もとは子神社といわれ古来村の鎮守であった。享和2年3月及び天保2年6月社殿の造営があり、明治6年12月村社に列した。明治17年9月及び22年9月の再度の暴風雨の為破損したが、直ちに再建。大正4年4月八幡社を合祀し、子之八幡社 (ねのはちまんしゃ)と改称。現在の社殿は大正6年に造営され大正10年7月神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。戸塚区上倉田町978

13.清源院
浄土宗寺院の清源院は、南向山長林寺と号す。清源院は、かつて安達藤九郎盛長の一族長林某が創建した獅子王山林長寺があった当地に清源院尼が元和元年(1615)に開基、小石川伝通院三世白誉を開山に迎えて創建したといわれている。戸塚区戸塚町4907

14.富塚八幡宮
富塚八幡宮は、横浜市戸塚区にある神社です。富塚八幡宮は、源頼義・義家が奥州へ向う途中、延久4年(1072年)社殿を造営したといわれている。明治6年郷社に列格した。戸塚区戸塚町3827


 

 



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