今までに紹介した市内の名所旧跡など中で、歴史のある寺院と神社だけを集めて再編集した。各建物の解説はホームページ「猫の足あと」を参照させて頂いた。写真はスライドショウでご覧いただけるようまとめた。
由緒あるこれらの建造物には共通点がある。それは長い歴史に耐えるだけの堅牢で、随所に宮大工の匠の技が光る。そこに行くと何んとなく安らぎのようなものを感じるのだ。それは狭い住宅になれた者にとって、別次元の広い空間が生み出す解放感とでも言ったものがあるからだろう。
第3回は横浜の東海道意外で散策の際訪れた他の寺社11か所をご覧いただきたい。
師岡熊野神社
師岡熊野神社は、横浜市港北区師岡町にある神社。師岡熊野神社は、神亀元甲子年(724)に全寿仙人が創建し、仁和元年には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が当地へ下向、「関東随一大霊験所熊野宮」の勅額を賜り、天皇の勅願所となっていたといわれている。明治3年に県社に列格したものの、氏子の陳情により明治6年郷社に列格したといわれている。港北区師岡町1137
樽町杉山神社
樽町杉山神社は、横浜市港北区樽町にある神社。樽町杉山神社の創建年代等は不詳ながら、かつてあった鰐口に応永18年(1411)鋳造とあったことから、応永18年(1411年)より古くから鎮座していたといわれている。江戸期を通して樽村の鎮守社として崇敬を受け、明治6年には村社に列格したという。港北区樽町4-10-41
興禅寺
天台宗寺院の興禅寺は、圓瀧山光明院と号す。興禅寺は、天台座主慈覚大師円仁和尚が東国下降した仁寿3年(853)、当地に自刻の勝軍地蔵尊を当地に安置して開山したといわれている。慶安2年に高7石の寺領を拝領していたという。武相不動尊7番、関東百八地蔵霊場86番、准秩父三十四観音霊場27番、横浜七福神寿老神、稲毛七薬師6番。港北区高田町1799
光明寺
高野山真言宗寺院の光明寺は、遍照山と号す。光明寺は、継伝僧都が明應5年(1496)に開創、二世は印盛(慶長14年1609年遷化)だといわれている。武相不動尊霊場26番、多摩七薬師霊場、稲毛七薬師霊場。港北区新羽町3990
新羽杉山神社
新羽杉山神社は、横浜市港北区新羽町にある神社。新羽杉山神社の創建年代等は不詳ながら、旧都筑郡域に多く祀られている杉山社の一つで、当地周辺が「上古根古屋の庄荷場の郷」と呼ばれていた時代より鎮座していたといわれている。明治6年村社に列格、明治41年村内にあった(大嶽)荒神社、(中の久保)熊野社、皇大神宮三社を合祀したという。港北区新羽町2576
北新羽杉山神社
北新羽杉山神社は、横浜市港北区新羽町にある神社です。北新羽杉山神社は、三輪神道の先駆者横地監物が大和国三輪明神の御分霊を応永2年(1395)勧請して奉斎、杉山大明神と称したといいます。港北区新羽町3918
高田天満宮
高田天満宮は、横浜市港北区高田西にある神社。高田天満宮は、正中2年(1325)申酉の方より光物が現れ震動し小蛇が現れた奇瑞により、領主桃井播磨守直常が社を建立、江戸期には高田村の鎮守社だったという。港北区高田西3-25-1
龍雲寺
浄土宗寺院の龍雲寺は、幡森山と号す。龍雲寺は、弘治元年(1550)に創建、養蓮社順譽(慶長元年1597年寂)が開山したといわれている。旧小机領三十三所子歳観音霊場17番。都筑区東方町1300
舞岡八幡宮
元々、当地をは「腰村」と称していたが、乾元元年(1302年)3月、白旗が空に舞うという奇瑞が起こったことに因み、腰村を「舞岡村」と改称し、石清水八幡宮より御分霊を勧請したという。戸塚区舞岡町946
元町嚴島神社
この神社は、今から約700年以前より元横浜村洲干島に鎮座していました清水弁天、洲干弁天を、元禄年間に分祀し、元町一丁目の増徳院(真言宗)仮殿にご神体を奉安していた。しかし明治維新の神佛混淆の禁止により増徳院から分離し、嚴島神社として元町一丁目十五番地に社殿を造営、元町の鎮守様となった。中区元町5ー208
妻恋稲荷神社
陣ヶ下渓谷公園の山林にある。妻恋という名前の由来は日本武尊が妻・弟橘姫命への念いを馳せて名付けられたそうだ。由来は不明で個人が勧請したとの説もある。
保土ヶ谷区川島町901-1付近