コラムで「ガマの油売りの口上」について記したが、口上の本流は芝居にあるのではないかと考えるので、その辺のところを探ってみた。
そもそも口上とは「口で言う。型にはまった改まったあいさつの言葉」と定義付けられている。その使い方としては「使者が口上を述べる」▷逃げ口上、口上書き」などを上げることができる。
もう一つの定義づけとしては「歌舞伎などの興行で、出演者や興行主が、舞台の上から観客に対して、来場の感謝の気持ちなどを表わすための言葉」がある(類語大辞典:講談社)。
実際の使われ方を見てみよう。徳川の時代は江戸詰めの大名が、他家と連絡を取るとき家来を使者に立て、用向きを伝えるのが慣わしであった。その使者からの伝言が口上ということになる。次に示すのは落語の「粗忽の使者」という噺の抜粋である。「杉平柾目正という大名の家来で、地武太治部衛門というたいそうそそっかしい侍が使者の役をおおせつかり、赤井御門守の屋敷に行く。どうしても口上が思い出せない。相手の大名の家臣でお使者受けの三太夫という家来が「お使者の口上を承ります」と督促するが、どうしても口上が出てこない。果ては太治部衛門が「ご当家を拝借して腹切り相果てなければ申し訳が立たぬ」という始末。途中は飛ばして、この太治部衛門は子供の頃からしりをつねられると思い出すというので、三太夫が太治部衛門の尻をつねるが、弱すぎて頼りにならない。そこで一計を案じた三太夫、屋敷で修理仕事をしていた大工「留めさん」を俄か仕立ての家来「留大夫」ということにして、太治部衛門を別室に招き入れ、こっそりくぎ抜きを出して、太治部衛門の尻をひねった。と「うーん、これは痛みたえがたい・・・思い出してござる」と。すかさず三太夫「して、お使いのご口上は・・・」「屋敷を出るおり、聞かずに参じました」(落語事典:東大落語会編)。
次は歌舞伎の口上の例として市川中車(香川照之)の口上抜粋(2012.6.7)
「いずれさまのご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じまする。
ただいまは御列座の皆様からお言葉を賜りまして誠にありがたく存じまする。
坂田藤十郎様より御披露いただきました通りこのたび松竹株式会社のおすすめにより、また諸先輩方関係各位の皆様方のご理解とお力添えを賜りまして、九代目として市川中車の名跡を襲名させていただく運びと相成りましてござりまする。以下略(チケットぴあHP)」を拝借して紹介したが、歌舞伎の襲名口上などは大体このパターンが使われるようだ。
最後に映画で大ヒットした「男はつらいよ」ふうてんの寅さんの口上「 私、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。性は車、名は寅次郎、人呼んで風天の寅と発します。皆様共々ネオン・ジャズ高鳴る大東京に仮の住居罷りあります。不思議な縁もちましてたった一人の妹のために粉骨砕身、売に励もうと思います。西へ行きましても、東へ行きましても、とかく土地土地のお兄さんお姉さんに御厄介かけがちなる若造でござんす。
以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、今日後万端引き立って宜しく御頼ん申します」に始まる口上の数々は目を見張らんばかりである。
今回の拙文は、引用文のオンパレードになってしまったが、これで口上というものが、人を引き込むための前菜のような" セリフ"であることが、お分かりいただけたと思う。