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 暦の知恵

 5月5日GWこどもの日、横浜美術館の特別展「複製技術と美術家たち」を見学した。コラムでも書いたように、当日は無料開放デーという滅多にない機会で、混雑を覚悟で出かけた。この美術館には何回か訪れているが、今回が一番と言えるほど、感銘をうける絵画に出会うことができた。会場は展示室の3分の2ほどを使う大規模なもので、全部見て回るだけで1時間はかかった。
 数百点にのぼる作品のほとんどが、富士ゼロックス版画コレクション中から選ばれたものと、美術館の所蔵の作品とのコラボで成り立っていた。ゼロックスといえばコピー機の代名詞のようなもの、当然展示された作品も、あらゆる技法が駆使された複製である。
 日本の浮世絵で知られる木版画、銅板を薬品で腐食させて凹版を作るエッチング、精密工学技術を使って版を作り出すリトグラフなど技法は様々だ。原画ではないが、紛れも無い本人の作品であり、一枚一枚に86/300というように直筆で数字を入れ(コピーの何枚目という証拠)自著している。それで原版は壊してしまう。それによって希少価値が生まれる。
 リトグラフなどは原画が残っていれば、何回でも印刷用の原版を作れるから、結局のところいくらでも複製できるということにはなる。あまり度が過ぎると価値が下がる。原画のような芸術的価値というより観賞用に購入する人も多いだろう。クリニックなどに行くと、よく壁に掛かっているのを見かける。
 前置きはこのくらいにして、コピー技術がもたらす創作活動における役割または効果について考えてみることにする。
 日常細事と並行して読めるよう、これを書いているので、私にとってコピーがどう発想の武器として「新」発想に結びつくのか、ハッキリさせてみよう。
 この展覧会が大きなヒントを与えてくれた。私が感銘を受けたのは、かなりの作品が、絵の構造がシンプルで色数も少ない、にも関わらずインパクトがあるということだ。見ていてピンとくるものがあった。
 今まで「描く:paint」の中では、亜抽象画に一番苦労してきた。何を描いてよいか分からないのだ。出来上がった作品も正直不出来であった。テーマの考えすぎや描き方技法の稚拙さが災いしていたようだ。
 ここでピンときたのは、素材は身の回りにゴロゴロあるじゃないかという点だ。原版素材としては、古い木株やベンチの薄汚れたシミ、虫食いの枯れ葉などなど、いくらでもある。
 それを掬い取って(撮影する)、得意のコピー技で加工すれば、簡単に作品として成り立つはずだ(と思う) 。「灯台下暗し」こんなところに発想のヒントが潜んでいた。
 これが新発想の作品となるかは「お楽しみ」。自分でもどうなるものか想像がつかない。それでも一山越えた。


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