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もったいない


 前回のエッセイで「再生への試み」で「リバイバル(復活・再生・復興といった意の英単語)版をどういう形で生み出していくかが大きな選択肢となるだろう」と述べたが、今回は愛着のあるモノをどう使いこなしていくかを話題にする。
 最近になって履き古した靴を使いだした。元々が履き良い靴で散歩には、この靴で出かけていた。軽くて柔らかいクッションで歩きやすかった。歩き方の癖か、蟹股のせいか踵が片減りしている。その上脇ジッパーの片方がバカになり、直ぐに開いてしまう。歩きながら何度も引き上げる始末だった。そこで下駄箱の片隅にお蔵入りしていた。
 新しいウォーキングシューズは何足もあるが、なかなか足にフィットしない。特に腰が悪化するに従って違和感が強くなった。そこで先ほど紹介したお蔵入りした古靴を引き出して、履いてみた。やはり足に直ぐ馴染む。多少クッションがなくなり、ジッパーが治ったわけでもない。それでも履き良さで他を凌駕する。
 腰痛という持病が、靴の微妙な履き心地を敏感に知らせる。履き慣らすには時間がかかる。モノに愛着を抱くということには時間がかかる。これは使いこなすことで得られる。
 ただ古くなったから捨てるということは、積み重ねてきた時間も捨てるということだ。
 ここで今回のテーマ「もったいない」であるが、この言葉は日本独特の表現法で『勿体無いとは、「勿体」が「無い」を組み合わせた仏教用語で、それが現在は「自然や物に対する敬意、愛などの意思(リスペクト)が込められているような言葉(wikipedia)』とされている。
 こうして見ると、モノを大事に扱い使い続けることは、まさに「もったいない」精神そのものである。
 自分の身の回りを見直してみれば、もっと「もったいない」がたくさん見つかる筈だ。




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