saji

2017.4.4 じれったい4月

 4月は新年度スタートの月。人も自然も忙しく、慌ただしい。何となく落ち着かず、先の予測が立ち難い月だ。そこで今回は「じれったい」をテーマに取り上げた。
 スポーツの春と言って、スポーツシーズンの幕開けがファンの心を騒がせる。
 私は野球ファン、それも地元ベイスターズが大好きだ。ペナントレースが始まって3試合143分の3を消化した。延長10回満塁ホームランを打たれて、ヤクルトにサヨナラ負けをした。この試合は本当にじれったい試合だった。何回も得点機会があったにもかかわらず逃がしてしまい、観ている方はここで一発出ればと、じりじりして打者の動向を注視する。三振、ポップフライでアウトやゲッツー、じれったいことばかりで終わってしまう。じれったくても結果勝利に終われば、イライラは収まるのだが、負けると疲れる。監督選手はああいう試合は、当事者だからこそさぞガックリすることだろう。口では明日から頑張ろうとは言っているが、勝ち越しか負け越しではストレスの貯まり方が違うはずだ。
 WBCはアメリカに負けたが、いい試合ばかりで白熱して時間の経つのを忘れさせてくれた。
 ところが、ペナントレースが始まった途端にエラーや四死球の多い、気の抜けた試合が目立つ。それがファンのじれったさにつながる。期待と内容との食い違いがじれったさを生み出す。ベストプレイの連続をファンは期待するものだからだ。
 じっれたいとはどういう状態なのかというと辞典では「物事の本質が見極めにくい状態にあるさま・のらりくらりの・歯切れが悪い・要領をえない・掴みどころのない・言いたいことが分からない・要点が掴めない・ポイントが分からない・ハッキリしない・趣旨が分からない・雲をつかむような・捉えどころのない・漠然とした・曖昧な・明白でない・判然としない 」と先の読めないさまを網羅している。類語としては「焦燥感」があげられる。
 今年の桜の開花も例年より遅く、今が満開の時期(横浜)となった。それまで何回も足を運んで観察したが、なかなか開花を確認できないでいた。これは他の花も同様で、随分じれったい思いをした。その分『Garden Necklacce YOKOHAMA 2017』を取材して解消することにしよう。

2017.4.7 表現1(顔と頭)
 人がいろいろな表情の変化で、自分の気持ちを相手に伝えたり、表現する。このコラム「2015.4.22体で表現する」でもほんの少し書いているが、よく観察すると人間の表情はその感情の動きで、実によく変化するものだ。今回は気持ちの表し方として顔(頭を含む)がどう変わるかを1~4コマ漫画(準備中)を交えて紹介することにしよう。
 感情の変化などを体で表すことを、非言語表現と言って、身振り言語(ジェスチュア)とか身体言語(ボディーランゲージ)というのだそうだ。
 ある研究者の説によれば、現実のコミュニケーションの中で、メッセージを伝える手段として言葉を使うのは高々30~35%で、残りは非言語行動によるものだという。
 最近はスマホが普及しており、特に若者はSNSやLINEとかファイスブック、ツィッターと言った簡略なコミュニケーション手段が普及しているため(どこかの大統領も常用している)、その比率は研究者が発表した時代とはずいぶん違っているものと思われる。
 それでも言外の表現という行動は数多くある。実例をあげてみよう。
 ①分かったというサインとして、「うなずく(同意・肯定)」 ②その反対のNOのサインは「首振り(不同意・否定)」③思案投げ首といった「首かしげ(思案・軽い疑い)」 ④それは無いだろうといった身振りとして「首すくめ(茶化す・とぼける)」 ⑤うなだれるのを「首垂れ(意気消沈)」 ⑥意のままにならない「しかめっ面(怒り・不安・憂い)」 ⑦不愉快な思い「眉ひそめ(不快感)」⑧気に入らない「ふくれ面(不満・不服)」 ⑨相手の出方を探る「上目遣い(顔色を窺う)」 ⑩相手の注意を他に向けさせる「目配せ(合図・喚起)」などを上げることができる。
 このように非言語表現は結構あるものだ。次回はこれに手を交えた表現について観察する。(参考文献:記号の事典 三省堂)

2017.4.10 表現2(手振り)
 人が言語で意思表示をする以前の時代、つまり原始時代ではまずものを食べたり、泣いたり、咳をするといった生きていくための生理的・偶発的表現から非言語表現は始まったという。それから徐々に特定行為として、要求や誘いかけ、感情表現へと発達したと言われている。これは人類全般に共通の表現効果をもたらすものではなく、同じ表現方法が間違って受け取られる場合もあるので、ここで示すものは日本人固有のサインと理解してもらいたい。
 前回は顔(特に目の動き)の表情で示す非言語表現について観察したが、今回はそれに手の仕草を交えた非言語表現について観察することにしよう。前回から続く連番で示す。
 ⑪口惜しさ・嘲り(あざけり)の意図を片手の指先で見尻を下げ、同時にベロを出す「アッカンベー(悪態)」 ⑫静粛に・黙っての意思を伝える「唇に人差し指を立てる(静かに)」 ⑬臭い匂いがすると自然に鼻をつまむが、一種のサインとしての「鼻つまみ(嫌われ者)」の表現にも使われる。 ⑭拳骨を鼻の頭に着けて「天狗になっている(自慢している人をからかう)」一種の陰口の表現もある。 ⑮「失敗した!どうしようー」の振りは、何かに失敗して、動揺している状態を示す「おでこたたき(やっちまった)」 ⑯こいつはどうも怪しい話だという時「眉唾(騙されないぞ)」 ⑰ヤー申し訳ない「頭かき(照れ隠し)」 ⑱しめた、ヤッター「パチンと指鳴らし(結果がうまくいった)」 ⑲あいつはパーだ「握り拳を頭の脇でパッと開く(頭がおかしい、バカもん)」 ⑳選手宣誓「右手を斜め45度の角度で上げる(挙手・挨拶・宣誓)」
 このほか「手のひらを立てる(ちょっと待て)」・「手のひらを合わせる(お願いします)」・「胸をたたく(任せとけ)」・「手振り(さよなら・挨拶)」なども手を使った非言語表現である。次回は指の動きで表現するパターンを紹介する。(参考文献:記号の事典 三省堂)

2017.4.14 表現3(指と拳)
 今回は指の形で示したり、拳の作り方で示す非言語表現について観察する。これも日本人固有のサインと理解してもらいたい。英語ではハンドサインとサムズアップというが、同じサインでも外国で自国にいる気持ちで使うと、意味する内容が違うので、取り返しの付かない事態を招きかねないので注意する必要がある。前回から続く連番で示す。
 ㉑お金を表す時親指と人差し指で輪っかを作る「リング(お金)」 ㉒ひとのものを盗む行為を示す「人差し指を曲げる(盗み、泥棒)」 ㉓俺のコレとか言って女性を示す「小指立て(彼女、女の人)」 ㉔ちゃんちゃんバラバラ「人差し指を切りまじえ(喧嘩))」 ㉕ 指切りげんまん。嘘ついたら針千本飲ます「二人で小指を絡み合わせる(約束)」 ㉖手と手を握り合って親交のしるしを示す「握手(挨拶 )」などが指の形で示す表現。
 ㉗拳を使った表現もある。このルーツは16世紀中頃に中国から伝来したものが、日本で広まったものである。代表的なのが「じゃん拳」で、拳を作る「グー(石)」五指すべてを広げる「パー(紙)」二本の指を広げる「チョキ(ハサミ)」を使って勝ち負けを争う。 ㉘虫拳という遊びがあった。蛙と蛇となめくじの三すくみによる拳遊び。日本の拳遊びで一番古いものと伝えられている。親指が蛙、人差し指が蛇、小指がなめくじを現す。蛙はナメクジに勝ち、ナメクジは蛇に勝ち、蛇は蛙に勝つ。その他、遊び方はじゃんけんに同じ。じゃんけんの普及にともなって現在では廃れた。
 これに似た三すくみの遊びに ㉙藤八拳(トウハチケン)がある。江戸時代の座敷遊びで、二人が相対し、両手を開いて耳のあたりに上げるのを狐、ひざの上に置くのを庄屋、左手を前に突き出すのを鉄砲(または狩人)と定め、狐は庄屋に、庄屋は鉄砲に、鉄砲は狐にそれぞれ勝つ。別名狐拳(きつねけん)とも庄屋拳ともいう。(完)(参考文献:記号の事典 三省堂)

2017.4.17 薬の服用にはご用心
 この歳になると医者通いが日常化することは止むを得ないことだ。数えてみると内科、整形外科、眼科、皮膚科それに歯医者といった、多くのクリニックに通うことになる。そうなると必然的に服用(塗る・貼る含む)薬も多種・多用となる。
 一日に常用する薬は十種類を超える。これは普通の同年代の人と比べても多い方かもしれない。薬手帳というのがあり、薬の副作用が起きないように医者は配慮するし、薬剤師もチェックする。問題は使う方の側にある。よくある例だが、勝手に処方を守らず多く服用するという話を聞く。そのようなことがないように私はかなり厳密に服用のルールを守り(当たり前の話だが)、薬は小分けにしてピルケースで管理している。当初はプラスチック製のケースの上蓋に薬名と一日当たりの飲む数と回数をマジックで書いて誤用を避けるようにしていた。
 その内、同じ薬なのでそれは消してしまった。慣れによる甘さがそこに垣間見えてくる。食前に飲む薬はよく忘れることがある。一日二回朝晩服用というのも間違いやすい。薬によっては『頓服』のような痛み止めは、自覚したときだけに飲む薬で常用するものではない。それも同じピルケースに入っている。
 さて前置きが長くなったが、これからが本題で、こういう事があった。私は導眠剤なしには眠ることができない。周囲の同世代の老人たちでも導眠剤を使っているものは多いから、それ自体は珍しい事例ではない。問題はこの薬は常用性があり、いったん始めると止められない。人の話では「それは自己暗示のようなもので、麻薬のような禁断症状は出ないはずだ」ということだが、実際はそうでもない。
 実は先日いつものように寝る前に2錠飲んで床に入ったが、なかなか眠気が起こらない。そういう時は頭がじんじんするので、おかしいと思い、少し量を増やしてみようと1錠口に入れてみると、妙に甘い。よく PTP包装シート(錠剤やカプセルをプラスチックとアルミで挟んだシート状のもの)を見ると『頓服』であった。包装が似ているのでピルケースの中で混ざって入っていたため飲んだものである。これは完全に誤用で、体にいいわけはない。結局導眠剤を確認して飲んだら、眠ることができた。このように導眠剤は気分で効く効かないではなく常用性があり、止められないという依存性が生まれるものなのだ。
 腰の痛み止めなども同様で欠かせない。一番いいのは薬の世話にならないことだが、これが難しい。精々処方を守ることしかないようだ。

2017.4.21 生活の知恵(その一)
 人々が長い暮らしの中で培ってきたのが生活の知恵である。ものを大事に使う、節約をする、残すといったところにその工夫が随所に見られるものだ。
 卑近な例を引けば、これはネットで調べたものだが、おばあちゃんの知恵というサイトがある。その中から一つだけ示すとしよう。
 おばあちゃんと言うくらいだから、長い生活の中から生まれた知恵といえるだろうが「日本手拭(手ぬぐい)はその昔、旅には欠かせない七つ道具のひとつでした。手や体を拭く以外にも、風呂敷のように物を包むことができるほか、頭巾やマスク、紐、包帯など、さまざまな用途があることから、二本以上は持ち歩くことが常識だったそうです」といった投稿がある 。
 これなどを読むと「なるほどな」と思うところがある。こうした生活の知恵は、日本人らしい日本独自の知恵と言ってもいいだろう。
 こうした生活にまつわる知恵は、日本では生活文化として根付いてきたもので、あらゆる場面で見ることができる。これらの知恵は農業や漁業を生業としてきた日本独特の気候風土によって生まれたものが多いが、その文化としての暮らしの知恵は、先の大戦による欧米主義への過度な転換により多くが途絶えてしまった。
 例えばおばあちゃんの知恵などというものは、その古き良き時代とも言える日本人が日本人らしく生きた時代の名残と言ってもいいだろう。
 先ず生活の知恵を伝統的(歴史的)に明らかにするために、なぜそれらが消えていく運命に晒されたかについて調べてみた。
 これは「持続可能な社会形成に役立つ日本の伝統的知恵の発掘と その国際貢献のための研究第二次報告書」という名の長い論文の中から拾い出したものである。
 「日本国民にとって初めての体験であるこの敗戦は、日本中を未経験の状況に押し込めたが、ただでさえ『舶来信仰』 の強い日本人が、敗戦後の復興に当たり、新しいものの導入に躍起になる一方で、それまで持っていた価値の多くを、古いものと見なし否定するに至ってしまったことも、ある意味では自然の成り行きであったのかもしれない」という言葉に代表されるように、日本人の持つ順応性というか『舶来信仰』的要素の強さも大きな要因となっている。 次回はどういう点を見直して日本人の伝統的生活の知恵を掘り戻すかについて考察することにする。

2017.4.24 生活の知恵(その二)
 明治6年まで日本人は旧暦(太陰暦)の世界で生活していた。古くから伝わる日本人の生活の知恵も又この旧暦に負うところが多く、陰暦は人々の生活の指針だったのである。
 陰暦には立春などの「二十四節気」や入梅などの「雑節」が記載されており、これらが生活の目安となり、暦を調べて農作業の計画を立てたりしたという。今も生きている 天気俚諺(てんきりげん)や観天望気(かんてんぼうき)は暦から発している。一例を上げると次のような諺(春の部)がある。これも生活の知恵と言えよう。
 「日がさ月がさ出ると雨」という諺がある。これは昼間太陽の周辺や夜月の周りに、薄白色~薄黄色の光の輪ができることがあり、この雲の種類は巻雲や巻層雲といい、最も高度が高い部類に入る雲で太陽や月の前面に薄く覆いかかるように現れれる。 低気圧の進行方向の前面に現れ、低気圧の中心までは距離700から800キロメートルぐらいある。 低気圧の進行速度が時速30キロとすると、早ければ23時間ぐらいで中心が通過するので、その少し前から雨が降り始まる。これなどは天気予報のようなものである。
 この種の俚諺(りげん:諺)は暦に従って季節ごとにいろいろあり「雪は豊年のしるし」とか「朝焼けは雨・夕焼けは晴れ」などを上げることができる。
 年中行事や風習にも、調べてみると生活の知恵が生かされているものが多い。これも一例を上げてみる。
「人日の節句」は、五節句の一つで1月7日。 七草がゆを食べることから七草の節句ともいう。七草がゆは有名なのでみな知っていると思うが、正月に雑煮を食べ過ぎて酸性体質になったのを、青物を補給して中和させるわけで、理に叶っている。これも長い生活習慣の中から生まれた、生活の知恵の言うことができるだろう。
 次回は占いにまつわる生活の知恵を探すことにしよう。

2017.4.28 生活の知恵(その三)
 卜占(ぼくせん)は占いのことであるが、なぜこれが生活の知恵になるのだろうか。いまでこそ文化や文明の発達によって消え去ってしまったかに見えるが、いまなお日常生活の中に息づいているものも少なくない。
 人には未知の世界である前兆を知ること(今の科学でも未解明の部分が沢山ある)は関心のあることだ。
 そうした前兆を知らせる才に長けた人を巫女や行者など卜占者と呼び、かつては職業化していた。
 前兆は日常生活を中心に考えられる。農耕漁労などの生活に関係深い天候の良し悪しをはじめ、作物の豊凶、また出産、健康、長寿など、生死にまつわる前兆が多く言われ、人々の生活を律してきたものである。
 前回でも紹介したように、天気を読むということは、農耕生活に深く関係があるもので、長い経験の蓄積の上に成り立つものである。卜占者はこうした経験をもとに『ご託宣』のごとく語ることで、発言に重みを持たせている。
 暦の知識や自然現象の知識に長けていると、より信頼性が強まる。特に天候に関する占いは「当たらずとも遠からず」という諺に当たる。
 「日本を知る事典」から種まきの時期に関して次のような記述がある「農作業の目安として、『種蒔き桜』 の例を上げると、花が咲く時が苗代に籾をおろす目安になる桜のことを桜の種類で種蒔桜とする場合と、特定の場所に立つ桜の古木を指すことがある。桜以外でも秋田県や岩手県では辛夷(コブシ)の花を種蒔桜と呼ぶところもある。また、山の残雪の形に、種蒔坊主、豆撒小僧などの名をつけて農暦とする地方も多い」のように、これらは意外に科学的な前兆の活用といえる。
 身体の変調を何かの兆しと見る例も多い。これも同事典から「くしゃみの回数で『一ほめ、ニにくまれ、三ほめられて、四風邪をひく』などは何となく一理あるような言い回しも多い」といったように、古来より日本人は、前兆によって先を読む生活の知恵も持っている。
 次回は「言い伝え(諺)」に基づく生活の知恵について、まとめて見ていきたい。