2017.8.2 からだの中に棲む虫(バイ菌)
人は自分の体の中に幾種類もの虫(菌・ウィルス 以下バイ菌と呼ぶ)を棲まわせており、心の中に潜む虫も多い。
そこで、自分の経験に照らして、それらの虫について観察することにする。
終戦直後、小学校に上がったばかりの頃の話である。ほとんどの子どもは腹に寄生虫を飼っていた。好きこのんで飼っていたわけではない。衛生状態が極端に悪かったせいだ。学校では子どもたちに「虫下し」を配って駆除を始めた。茶色の四角いチョコレート状の一見お菓子(多分米軍の物資の一つにだったのだろう )見えたが、えらく不味かったと覚えている。効果は絶大でビロウな話だが、長くて太い12センチぐらいの うどんのようなサナダムシが排出されたことが記憶に強く残っている。現代の日本の子らには経験できない、想像すらできない虫の存在である。
しかし、今でもアレルギー体質改善のため態々(わざわざ)回虫を腹に住まわせる御仁もいるという話も聞く。これは逆転の発想で悪玉を善玉に変えるお釈迦様のような技である(参照:鬼子母神)。
大概の人にはバイキンが巣食っており、それが季節の分かれ目などにヒョコッと現れて悪さをする。 私の場合は水虫である。水虫菌も体に常駐しているようで、なかなか追い出せない。対症療法しかないようで、出てきたら薬を塗って収める。私は医者が聞いたらびっくりの奥の手を使う(絶対真似しないでほしい)。水疱を焼いた針先で突いて表皮を切開し、そこに直接プロポリスの原液(本物であること)を塗りつければ、だいたい収まってしまう。プロポリス原液は切り傷などには大変強い効果を発揮する。少し宣伝めいたが次に進もう。今回コラムで愚痴を言った帯状疱疹もバイキンのなせる技で、これは小さい時罹った水疱瘡の残存ウィルスの仕業だと聞かされた。70年経って出てくるとは、身体というものは何でもかでも長期保存するものだと、感心したり、呆れたりしている。
次回は「心に潜む虫」について話すことにする。
2017.8.6 心の中に潜む虫
今回の虫は、人の心の中に潜む虫についてて話すことにする。
虫の居所が悪いなどといって、これは心の中で動き回って、不思議な力を発揮する目にも見えず、バイ菌でもない虫の存在である。
どんな虫が住んでいるのか挙げてみよう。
子どもに多いのが「(癇)の虫」で、一種のヒステリーのように泣き止まない症状を引き起こす虫である。「泣く子と地頭には勝てぬ」というほどこの虫は強い。
「虫の知らせ」という虫もいる。これは一種のお告げのような神秘的虫で、その虫が働く人もいる。この場合、大概人の生き死に関するものが多いようだ。
人に対する好き嫌いの虫として「虫が好かない」というのもある。これなども相性のようなものを本能的に嗅ぎ分ける虫で、絶対仲良しにはならない。もっとも相手もそう感じているかも知れないが。
納得できない時に頭を持ち上げる虫を「腹の虫がおさまらない」などと表現する。この虫が収まらないと最悪刃傷沙汰になる。
これは人から見た場合で「虫がいい」と呼ばれる虫がいる。これは「自分の都合ばかり考えて他を顧みない。身がってである」と大辞林では表現している。
日本人は結構「虫」という言葉を使う「本の虫」「仕事の虫」「勉強の虫」などは、ひとつ事に熱心な「虫」で、一匹ぐらいは住まわせてもいいような「虫」だ。
これは情けない「虫」で「弱虫」「泣虫」「ふさぎの虫」意気地がない。
中には人に嫌われる「お邪魔虫」などいう「虫」もいる。これはかなり大きい虫で、獅子身中の虫という虫もいる。これは内部にいながら害をもたらす者や、恩を仇で返す者のたとえである。 言葉の由来は、獅子の体内に寄生しておきながら、獅子を死に至らせる虫の意味から。もと仏教語で、仏教徒でありながら仏教に害をもたらす者のことをいった。
こうして「虫」についていろいろ見てきたが、明日は立秋。もう秋である。人の中に棲む虫より、美しい声で鳴く鈴虫が私は好きだ。
2017.8.9 パソコンを襲う虫
コラム虫(ばい菌)シリーズおしまいは人ではなくパソコンを襲う虫について紹介する。
このコラムを読んでいる方は、パソコンを使っている。ネットを通して読むのだが、このネットは往々にして招からざる客の襲来を受ける。自然界の台風のような存在である。
一般的にはウィルスと呼ばれるパソコンを襲うバイ菌である。いろいろな悪さをするので、ウィルス対策ソフトで有名なノートンセキュリティのサイトからウィルスに関する情報をピックアップしながら、その怖さを検証してみる。
ウィルスの代表的なものはワームである。ワームとは翻訳すると「回虫」であり、ずばり体内に入り込む虫であることが分かる。このワームはパソコンにどんな悪さをするのだろうか。
その前にワームの位置づけについて説明すると、これはマルウェア(これもメールなどに添付されることで有名だが)の一種ということになっている。この仲間にはトロイの木馬やウィルスがあり、そしてワームがある。
体の中のウィルス同様自分で複製を作って感染を広げる。つまり自己増殖するという特徴を持っている。その繁殖能力は単体だけではなく、ネットを介して無限に増殖していくという恐ろしさを持っている。
ノートンでは被害を7種類に分類して報告しているが、その中から2つだけを紹介する。
その1は、パソコンに寄生して増殖するため最終的にはコンピュータを動けなくしてしまう。人間の体に譬えれば機能不全にしてしまうことである。
その2は、金銭になる情報を盗むことを目的にしたワームで、これはトロイの木馬とワームの複合型のマルウェアと言ってもいいもので、金銭になる情報であるオンラインバンキングのログイン情報、ネットサービスのID、パスワード、オンラインゲームのユーザー名、パスワードを盗んでしまうことである。
このようにコンピュータウィルスの親玉である「マルウェア」は善玉菌ではなく、悪玉菌として今もコンピュータ社会の脅威として、その活動範囲を広めている。
防御策としては、しっかりした対ウィルスソフトをインストールしておくことである。windowsの場合は頻繁に行われるOSの自動更新をまめに行い、常に最新状態にしておくことである。
また、送信元が不明なメールは中身を見ないで削除すべきであろう。特に添付ファイルは絶対に開いてはいけない。
まず自分のパソコンが急に重くなってファイルを開くのに時間がかかるようならウィルスに感染したと判断して、初期化などして一からやり直すという、悔しい思いをするのも覚悟しなければならない。
2017.8.12 使わなければ衰える
繰り返しの話になるが、今私は闘病中である。帯状疱疹が広がり右上半身が猛烈に痛む。時折刺すような痛みが襲ってきて、耐え難い。そんな状態が2週間ほど続いている。皮膚科でペインクリニックを紹介され、そこで喉元にブロック注射をしてもらったが、1回ではほとんど症状は緩和されていない。身体に発疹が活動している間は初期状態でブロック注射が最も効果的だということだ。日本人の6人に1人は罹るそうだが、年を取るほど治りにくいという話である。
痛みに対して過敏になり、過剰反応する。これがペインストレスで、そこまでいくと、神経痛のように一生抱え込むことになると、クリニックでくれたガイドブックに書いてあった。
先のことは分からないが、今一番自覚されているのが、身体の衰えで体重が大きく減ったので、皴皺(シワシワ)爺さんになってしまった。ここ1か月間歩けないから体の筋肉が落ち、目立つところでは尻の肉がしぼんで、皴が出て垂れてしまった。大腿筋とそれに連なる 下腿三頭筋も弛んできている。よく分かるのが肩甲下筋(私の場合右肩の筋肉)で触って見ても、盛り上がりが消えてしまった。腹もアバラガ目立つようになった。こんな塩垂れた姿は人前に曝したくない。
痛みで1か月も家に閉じこもり、運動すらできないと、体の筋肉は急速に削がれてしまう。医者には車で送ってもらうが、帰りは地下鉄とバスを利用する。杖を使っての歩行だが、僅かの距離を歩くのにも普段の倍の体力と時間を使う。1か月前まで散歩コースだった近くの駅に近いショッピングセンターへの片道には山坂があるので、今の体力では越すことはできない。結局ショッピングセンターまで車で迎えに来るよう要請する始末だ。
筋肉の落ちるのは早いが、戻すにはその3倍の時間がかかるという。それもいつもの3000歩散歩を続けたらという前提条件があっての話だ。
今はまだ病と闘っている最中で、何とも言えないが、治療が上手くいって元の状態に戻れば、時間をかけたリハビリに入ることができる。これも先が見えてはいない話なのだが、帯状疱疹ぐらいに負けてはいられない。
ここで身をもって感じたことは「何でも使えるうちは使わないと直ぐにダメになってしまう」と言う教訓である。
2017.8.15 北斎の遠眼鏡
遠眼鏡(とおめがね)とは望遠鏡の古い呼び名のこと。なぜ遠眼鏡を持ち出したかというと、HPで連載している北斎の絵をよく観察すると、北斎は明らかに遠眼鏡を使っていたと推察できる。富嶽三十六景の絵を参照しながら検証してみる。
01神奈川沖浪裏は高波の先に小さく富士が遠望される。これは広角レンズで撮った映像のように見える。次の02凱風快晴は大きく富士がクローズアップされている。これは望遠レンズ使った映像のように見える。同様なもには19山下白雨がある。北斎の作品で富士だけを主役にした作品は極めて少ない。次の作品 06東海道程ヶ谷は自然な人の目線で描いている。レンズでいえば標準レンズである。
当時広角から望遠までをカバーする遠眼鏡は無かったはずだ。ところが北斎はこうした構図を自在に使い分けている。幾何学的に分析しても何の矛盾も感じられない。
北斎にとって富士の立ち位置は、シンボルに過ぎないように思える。主役のほとんどは近景に視点が据えられている。
04本所立川、24遠江山中、32尾州不二見原などを見ると、職人の仕事ぶりを前面に大きく描き、働く姿をダイナミックに描いている。多くの絵に見られるのは、人に対する細かい観察力である。この時代にムービーのように、人の動きを画面に再現したということは並々ならぬ技の冴えである。
26江戸日本橋などは極端な遠近法で描かれ、西洋画に見られるデフォルメ(変形)の手法が用いられており、面白い構図となっている。ここでも運河で働く多くの人の姿が見られ、生活感が強く表現されている。
38甲州石班澤は彩色されたものもあるが、すみだ北斎博物館のそれは、青一色が基調となり、海に同化した漁師親子の姿を強く印象付けることに成功している。
こうして見てくると、北斎は遠眼鏡をあたかもムービーカメラのように使いこなし、次元の世界を自由に行き来して変幻自在の光景を再現しているように私には見えてくる。
北斎はこれらの作品を75歳から続々と発表している遅咲きの画家である。その活動は90歳まで続いたというから驚嘆するばかりである。100歳まで描き続けると豪語していたというから、遠眼鏡で将来を見越していたにちがいない。
2017.8.22 職人業(技)の時代(1)
幼いころ我が家の改修工事を、朝から夕方まで飽きずに眺めていたことを思い出す。親父の仕事が最盛期の時のことで、相当な金を注ぎ込んだ工事だった。
家には多くの職人さんが入り、それぞれの仕事を手際よくこなしていた。この工事をひっくるめて大工仕事と呼ぶことにして話を進める。
大工には棟梁と呼ばれる親方がおり、その人の指示で仕事は進められる。その姿と仕事ぶりは、今手元にある江戸職人図聚(中公文庫)にある職人の姿と二重写しになる。
棟梁の姿は今でも覚えている。頭が完全に禿げ上がり見事な輝きを放っていた。家に来て庭先での最初の仕事は、鉋(かんな)を研ぐことであった。鉋の刃には三種類あるようで、荒鉋、中鉋、上鉋といって、図聚によれば「荒鉋は粗削り用、中鉋はその上をならすように平らに削る。上鉋は仕上用で、鉋屑が透けて見えるように仕上げる」
材木は削り台を設(しつら)えて作業する。三角定規の角が90度の方の形をしていて、その勾配が粗削りから仕上げになるほど緩くなっていき、仕上げの段階ではほとんど水平になっている。鉋を引く度にカールした薄紙のような鉋屑が出てくるのを、手品のような技のような思いで眺めていたものだ。
鉋のほかに墨壺と差金は大工必携の道具らしく、いつも側に置いてあった。差金(指金)というのはWikipediaによれば「 ステンレスや鋼、真鍮などの金属製で目盛りがついており、材木などの長さや直角を測ったり、勾配を出したりするのに使われる。L字型をしており、両方の辺(長手と短手(妻手))に目盛りがある。また、内側にも目盛りがある」とあり、万能物差しといったところか。墨壺は「 木でできており、壺の部分には墨を含んだ綿が入っている。糸車に巻き取られている糸をぴんと張り、糸の先についたピン(カルコ)を材木に刺す。この状態から糸をはじくと、材木上に直線を引くことができる」とあり、 木材を加工するために、印(線)をつけていく事を墨付けというそうだ。ここでは差金と墨壺はセットで仕事を果たす役割を担っている。
棟梁は仕上がった柱を手際よく計測し、墨で印をつける。そこに鑿(のみ)が登場し、切込みを入れていく。この切込みは他の木材と組み合わせるためのもので、見事にかみ合って骨組みができていく。釘など一切使わない匠の技がそこにある。ひと仕事終わると棟梁は煙管を出し、刻み煙草を詰め、火をつけるとすっと吸い込み、ふっと細い煙の筋を吐き出す。びしっと決まった一瞬だ。次回につづく。
2017.8.25 職人業(技)の時代(2)
普請というと大工仕事のみではなく、他の多くの職人が関わっている。壁を塗る左官、障子・襖を作る経師屋など、多くの分業が見られる。今では工務店がすべてを仕切っているが、当時はそれぞれの生業が独立して店を構えており、町にはそうした職業の店が軒を連ねていたものだ。
ちなみに、左官とは 建物の壁や床、土塀などを、こてを使って塗り仕上げる仕事、またそれを専門とする職種のことをこう呼んだ。経師屋は ふすま・びょうぶなどの表具をする職人で、表具師ともいう。表具師は貼るのが仕事だが、その骨格となる骨組みを作る人を建具師といい、障子、襖の骨、欄間、格子、連子( 木・竹などの細い材を、縦または横に一定の間隔を置いて、窓や欄間 (らんま) に取り付けること)などの仕事を行っていた。
子どもの頃あかずに眺めていたこうした職人たちは今でも店を開いているのだろうか。実家に帰り、今の町に戻っても、昔の姿は見る影もない。多分こうした職種は僅かに寺社等の修復する専門技術者として残り、それ以外はすべてがゼネコン配下に吸収されてしまったように見える。かつて伝承され家業として独立していた職人技は、今どう受け継がれているのだろう。中々見えにくい。家業として引き継ぐ世代が失われているのも事実だろう。
一方で、町医者とそれに付随する調剤薬局は代々引き継がれている。それは多分「医は仁術である」からではなく、儲かる仕事だからとみることができる。むしろ昔より職種で数は増えている。私が通う整形外科などは、世の中で高齢化が進む中で増え続けているようだ。この世界も このように分業化が進んでいる。
こうして昔見た職人業(技) の世界は、伝統的文化ともいえるもので、見習いから始まり修行が長く、高所を目指すとなると長い苦労を重ねて一人前になる社会であった。それに比べ、今では技術の進歩もあるが、家ですらパタパタと組み立てて、短時間で仕上げることが儲けにつながる訳だから、ここには細かいことに拘る職人技はすでに無用になってしまったのであろう。
こうして概観してみると、庶民文化の伝承がいかに困難なことかと実感される。
2017.8.28家事分業の移り変わり
前回分業について触れたので、その関連で家庭における夫婦の分業のあり方について少し語ってみることにする。
私見であるので、標準的家庭の分業とは異なっているかもしれない。
子どもの頃、親父は働いて家族を養う大黒柱であったから、8人もの子沢山にもかかわらず、家事・育児には全く手を貸さなかった。その分野は母が中心で、兄弟姉妹がそれを手伝った。父親は常に高い場所から家族を見下ろしているという存在だった。それが通用した時代でもあった。
私が世帯を持ち家庭での役割分担(正式には性別役割分業という)は変わっただろうか。否変わっていない。私は働き専門で家事には一切タッチしなかった。ただし給料はすべて女房が管理した点は親父と違う。そのスタイルは今でも基本的に保たれている。私は家事はおろか今では力仕事さえ女房の分業下にある。
私や父親のような家庭内分業のあり方は、今では通用しない世界の話であろう。
夫婦共働きが当たり前になり、男女の分業体制は大きく変質しているのが今の姿だ。男だからこうあってしかるべきだというよすが( 縁・因・便:寄って立つところ)は存在しなくなった。私がアルバイトしていた高等学校では、
先生同士が結婚するケースが多く。結婚して辞める女性は殆どいない。それでも子供は作る。3人の子持ちというケースもある。こうしてケースでは男性は積極的に家事育児に参画する。朝飯、洗濯、夕飯の準備をして出勤する定時制の先生すらいる。このように家庭優先で職業を選ぶ人もいる。
ここに面白い調査結果がある。それによると『性別役割分業意識の変化 研究開発室 -若年女性にみられる保守化のきざし-松田 茂樹2005.9』「若年女性において、従来 低下する一方であった性別役割分業意識が増加傾向に転じたことは注目される。この変化に対してはさ まざまな解釈が想定されるが、そのひとつは若年女性の保守化というものだろう。昨年は「負け犬」と いう言葉がブームになり、30代未婚の負け犬と既婚、中でも既婚で専業主婦の勝ち犬の生活がマスコミ 等で対比されたことで、若年女性の間に勝ち犬志向が広がった可能性が考えられる」
私が思うにこの現象は過去の分業に回帰するものでは決してないはずだ。働かなくなった女性は先ず財布のひもは自分で持ち、育児や家事にも夫を積極的に使うという図式が見えてくる。いつの時代も女性は逞しく生きる存在なのだ。
2017.8.31 状況で変わる自己対応力
人間は環境の変化に思ったより早く順応するものだ。
一つは食事の取り方だが、昼飯を抜こうと決意したのだが、食前食後に多くの薬を飲むために全く摂らないわけにもいかず、バランス食品で済ますことにした。こうした健康食品は飽きるので、数種類試しながら続けてきた。散歩のときは手軽で重宝したが、病を得て出かけられなくなった。家で寝たり起きたりを繰り返していると、食べるのだけが楽しみになる。帯状疱疹の痛みは食欲には影響しない。右手が使えないから食べにくいだけだ。こんな状態が2か月ほど過ぎ、今も改善されていない。食欲に話を戻し、変わったものが食べたくなって、医者の帰りに、天丼を買って、家に戻って食べた。とても腹にもたれ、気分まで悪くなった。昼には体が軽いものしか受け入れないようになってしまったようだ。メニューを変えるとすれば菓子パン1個で 十分だ。このように食事のパターンを変えただけでも、身体は順応するものだ。
ましてや20年以上も続けてきたウォーキングをいきなり2ヶ月もしなくなったのだから、影響が出ないわけがない。ウォーキングは全身運動だから全筋肉を使う。それがすっかり削げ落ちてしまった(2017.8.12 使わなければ衰える)。これも身体が勝手に状況の変化に対応してしまったせいである。
このように習慣によって得たものは、それが中断すれば失われる。これは体が勝手に対応してしまうものだから避けようもない。習慣には良い習慣と悪い習慣がある。その内容は人によって判断は違うだろうが、だいたい良し悪しの判断はつくものだ。それ故やり直す時間があれば、良き習慣を作り出し、依存症のような悪しき習慣は捨て去る努力をするべきだろう。口でいうほどたやすいことではないが、やってやれないはずはない。
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