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2017.9.4 ふるさととは

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷
こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清さ故郷
高野辰之作詞の童謡「ふるさと」の歌詞である。

 人は誰でも生まれ育った場所がある。それが都会の家が密集している場所だろうと、緑豊かな都会から遠く離れた寒村(田舎)だろうと、どこかに確かにある。
 田舎の子らは中学校か高等学校を終えると、多くが就職や進学のために都会へと出る。その中で国に戻るものは家業など後継ぎになる者を除いて、そう多くはない。そのまま都会に住み着ついて居を構えることになる。そこで家族でもできれば、生家はふるさとと名を変える。
 都会で生まれ育った者もまた就職を機会に家を離れる。別の場所で居を構えれば、生家は実家ということになり、そこが彼らのふるさとになる。
 帰ることのできるふるさと「田舎」のある者にとっても、家族そろって帰省するのは盆や正月ぐらいになってしまう。それが今も続く帰省ラッシュを生み出す。ふるさとは遠いいほど帰りたい場所なのだろう。
 私などは都会育ちで実家も近い。それでも親が亡くなり、足が遠のいている。親族とは法事で寺で会うのが多くなっている。
 多分田舎のある者にとっても同様で実家の代が変われば足は遠のくだろう。場合によっては帰る場所がなくなる者も時代の変遷で増えるだろう。
 童謡ふるさとにあるような故郷の光景は、田舎のある者にとっては実感を伴う唄であろう。こういう懐かしくも美しい故郷は決して忘れることできない場所なのだ。それは都会育ちの者にとっても、成人まで過ごした実家は忘れることできない思い出多き場所であるに違いない。
 時を経て老人となっても、誰にとっても「ふるさと」はこの歌詞にあるような姿で心の中に生き続けることだろう。


2017.9.9 時間という代償を払う
 更新が止まって4日やっとこのコラムが掲載できた。日々更新を目標にしていただけにこの4日間の空白は、時間を失った感がある。掲載すべき題材が後ろ倒しになり、順番を入れ換えなければならないなど、スケジュール管理にも頭を悩ますことになってしまった。右手の状態がいまいちで、この混乱はしばらく続くかもしれない。
 右手の不調は実は上腕部と脇の下の筋肉の炎症にあった。それが神経痛と重なって発症したため、把握するのに長い時間がかかった。数年間もペンタブレットで絵を描き続けており、年中肩こりや肩甲骨のなかに痛みを感じていた。それが一気に噴出したものと思われる。
 対症療法的に取りあえず悩ましかった2つある強い痛みの1つ(正しくは上腕ニ頭筋長頭腱炎)は押さえることができた。それでも残る1つは、療法を試みたが腕の付け根に強い痛みが残った。医者も無駄な試みになるかもしれないと言っていたが一縷の望みで頼み込んでしてもらった施療だから、これで見切りは付いた。
 このままではまた長い時間の代償を払い続けることになるので、一念発起して徐々にでも2か月前の自分に戻れるよう、リハビリ活動(早朝の軽い散歩など)に入るつもりだ。
 それにしても痛みというものは、仕事の効率の3分の2は奪ってしまう。ということは今の調子でも一つの仕事を仕上げるのに3倍の時間を費やすということになる。もっとも頭の回転も3分の1程度に落ちているから、どっちにしても時間を多く使うことになる。
 健康管理がうまくいかないと、このように時間という代償を支払わなければならにということなのだろう。
今回先ずはこのコラムを掲載でき、大きな代償を払いながらも自分の好きな道にこうして戻れたことを喜びたい。

2017.9.12 風呂が好い
 私にとって今一番 何が楽しいかと言へば、風呂に入ることだ。
 浴槽に6分目ぐらいの湯を張り、身体を沈めるわけだが、ユニットバスだから狭い。温泉のように手足をいっぱい広げるような真似は金輪際できない。横長の部分に足をくの字に曲げ、背中を浴槽に押しつけるようにして首まで湯に浸る。すると浴槽の湯は8分目に上がって形が決まる。アルキメデスの原理でもないが、体の容積分水位が上がるという仕組みになっている。
 のっけから話が脱線している。要はその時間が一日の中で一番心地好いと言うことである。というのもその時は体の痛みから解放されるからだ。理由は前回コラムで紹介した。浴槽滞在時間は僅か約10分ほどであるが、色々想を練ることができる。もうお分かりだろうが、これも風呂の中で考えた一文である。
 想と言ったって大層なことは浮かんでこない。「そう言えば敬老パスの通知がきてたな。今年も申し込むとするか」とか言った他愛のないことだ。それでも一時的とはいえ、身体の痛みが無くなる分、頭の働きが良くなる。
 浴槽を出る前に洗い場の準備を整え、絶対に身体のバランスを崩さぬよう慎重に浴槽から足を踏み出す。そしてプラスチック製の腰掛けに座っておもむろに身体を洗う。先ず最初に洗髪し、その流れで首から下を洗う。最後に顔を洗って髭を剃る。サッパリしたところで約10分が経過する。ここで気が向けばもう一度浴槽に戻り身体のこわばりをほぐす。
 風呂を出るまで約20分〜30分。この癒しの時間「なんてたって風呂が好い」のお粗末な一席。
 何と、これでは丸で療養日記の続きではないか。

2017.9.19 秋の気配
 爽やかな涼風に乗って「オーシーつくつく」と鳴く蝉の声が聞こえてくる。炎暑の中賑やかに鳴いていたクマゼミやアブラゼミに比べ涼やかなツクツク法師の声に秋を感じる。
 プロ野球もリーグ戦最終章に入った。先日の横浜対広島戦では赤一色のスタンドを映すように赤く燃える夕焼けが印象的だった。結局、広島カープは18日にアウェイの甲子園でリーグ優勝を果たした。
 ファンの色 添えて燃え立つ 赤い空  風楽
 収穫の秋と呼ばれ農家では刈り入れの繁忙期に入った。そんな時今年最後の台風といわれる大型の台風18号が列島を縦断した。各地で大雨と風の被害が出ていると報じられている。今年は天候不順で平年並み以下と言われるなかで、この台風がそれに追い討ちをかけるようにならなければと杞憂される。
 今年も温暖化の影響か漁業もよくない。先日東京で行われた恒例の「目黒のさんま祭り」も宮城県気仙沼のさんま漁が不漁で、2016年に水揚げされた、およそ5,000匹の「冷凍サンマ」が使われたということだ。獲れる魚もまだ海温が高いため小振りで、脂の乗りも悪いという話だ。
 それでも人々は豊穣の秋を祝って感謝の祭りを行う。それが十五夜である。秋と言えば月。月といえば満月である。とくに中秋の名月と言って、澄んだ空に白く輝く月は大きく見える。旧暦の十五夜は8月15日であるが、新暦では流動的で今年は10月4日だそうだ。私の記憶では、十五夜に月の見える縁側に、すすきを飾り、月見団子・里芋・枝豆・栗そしてお神酒を供えて祝ったことを覚えている。
 この時期外に出ると、気温は30度を超える日もあるが、空気が乾燥しており、日影に入れば風が肌に優しい。こんな日はそう長くはない。短い秋を満喫できる日々を楽しもう。

2017.9.22 輪ゴムとレジ袋(1)
 意外と気にしない内にたまっている小物がある。買い物についくる輪ゴムとレジ袋である。大体がセットになっている。
 例えば、外で弁当などを買うと、弁当の蓋が外れないように輪ゴムをたすき掛けにして使っている。弁当はレジ袋に入れて手渡してくれる。
 私などの場合、多くのクリニックを渡り歩いているので、処方される薬の種類も多い。それらの薬は何錠かづつまとめて輪ゴムで止めてある。したがって輪ゴムの数はかなりになる。薬袋はまとめてレジ袋で渡される。
 こうして持ち帰った輪ゴムやレジ袋は、即ごみ箱行きとはならず、輪ゴムは何故か冷蔵庫の横のフックにかけられたりして保管される。レジ袋は小さくたたんでまとめて保管されたりしている。
 これはきっと再利用を意図しているからだろう。確かに台所ゴミなどの家庭ゴミを捨てるのに、レジ袋は役立っているのかも知れない。でも輪ゴムはどんな風に再活用されているかについては急には思い当たらない。ゴムは劣化するので、使う段になるともろけていて切れてしまうこともある。
 そこで今回はこの二つの小物がどのように再活用されているかネットで調べて見た。
 おばあちゃんの知恵袋ならぬ他人の知恵袋版といったところである。

1.輪ゴムの活用法(http://lifehacklane.com )
①ハンガーにこのように輪ゴムをくくりつけてみよう。服をハンガーにかけた際、ハンガーから服がずり落ちないようになる。
②メガネのずり落ち防止にも!
③料理の際、かき混ぜるスプーンなどに輪ゴムと巻き付けておくと、スプーンが中へ落ちないで済む。
④なかなか開けられない瓶には輪ゴムを使ってみてはいかが。瓶の真ん中あたりと蓋の部分の二カ所に輪ゴムを巻き付ければ滑り止めに。これでもう一度蓋空けにトライしてみよう。
⑤お茶が好きな人なら一度は経験したことがある失敗「タグのお茶ボチャ」。輪ゴムはこんな時にも丸い容器に輪ゴムを取り付け抜け落ち防止に使える。
これらは一部紹介したもので、結構再活用できるのである。
次回はレジ袋の再活用について紹介する。

 

2017.9.26 輪ゴムとレジ袋(2)
 レジ袋については結構再活用できるようだ。
 台所ゴミの分別に役立つほかに、旅行に行く時に下着などをレジ袋に入れてバッグに収めるようなことは誰でもしていることだろう。
 前回同様「他人の知恵袋」からピックアップして紹介する。
①犬を散歩させている人が持っているのが、犬のウンコを入れるレジ袋で犬散歩必携といえる。
②家の分別ゴミの中には部屋に置かれた紙屑専用のゴミ箱があるが、これにはレジ袋を袋状にしてゴミ出ししやすいようにしておくと、ゴミ出しに手間が省ける。
③家庭の主婦の生活の知恵として「買ってきた野菜をカットして冷凍したり、肉も同様に小分けして、なるべく平たくしてレジ袋に入れて冷凍する」
④これも主婦の知恵「みんな面倒だなと思われるのが、トンカツなどの衣を付ける料理。小麦粉、卵、パン粉の順に付けるが 、次の作業にうつるたびに、手を洗わなくてはならない。とても面倒。そこでそれぞれの物を別々のレジ袋に入れ、そして順番に付けていく。こうすれば手も汚れず、むらなく付けることが出来る。これだと子供でも上手に出来る。唐揚げの下準備の漬け込みもレジ袋を再活用できる。
⑤台所や風呂の汚れ落としに使う「換気扇の掃除には厚手で大きめのレジ袋を2枚用意する。換気扇を外し熱いお湯をかけ油を落ちやすくする。次に洗剤をかけレジ袋に入れ、口をしっかりしめる。これをもうひとつの袋に入れ 、その中にお湯を流し込む。漏れないようにしっかりしめ置いておく。時間が経ったらお湯を捨て、ビニール袋から換気扇を出し洗う。ビックリするぐらいよく落ちる。
⑥ビニール袋が水を弾くところに注目すると「大き目のレジ袋をカバンの中に入れておき、急の雨などからカバンの中身を守るためカバンをくるんでやれば水が入り込まない」とか「自転車で通勤・通学している人はサドルカバーにして防水したり、小さ目なレジ袋はゴム手袋代わりにもなる」
 このようにレジ袋の活用範囲は広く、非常に汎用性の高い優れたグッズに変身する。捨てないで貯めこんでおけば必ず出番はあるものだ。


2017.9.29 心象表現に歌を詠もう
 秋が深くなりつつあるこの時期、詠み人には最も題材に満ちた月である。花鳥風月「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬は雪」といったように、それぞれの季節を代表する季語がある。
 歳時記(さいじき)は「歳事記」とも書き元々、四季の事物や年中行事などをまとめた書物のことであった。江戸時代以降の日本では、主として俳諧・俳句の季語を集めて分類し、季語ごとに解説と例句を加えた書物のことを指すようになった。
 1872年12月より日本に太陽暦が導入され、歳時記の内容に大きな混乱をもたらした。1874年の『俳諧貝合』が陽暦による最初の歳時記であり、立春を2月において陰暦から1か月遅れで調整しており、現在の歳時記の多くがこの方法を引き継いでいる。(Wikipedia)
 5,7,5(17文字)の中に日本人の美意識、自然観、情趣といった心象を再現する様々なものが込められている。また俳句には「有季定型(季語があり、五七五)」というルールがある。
 私は小学校の時に俳句を作ることを学んだ。これは俳句というものが、日本人が昔から四季の移ろいや自然の変化に非常に心を寄せてきたという伝統があるからだろう。
 自然の移ろいを背景とした心象表現を俳句に託すことに、私は何のためらいもない。無論うまい下手はあるだろうが、それは物事の核心ではない。感じたことを率直に5,7,5の17文字に込めることに意義がある。
 そうした自然と自分の感性の融合を更に克明に表現するため、みそひともじ【三十一文字】と呼ばれる短歌(和歌)で詠むこともある。これは古くは万葉集にルーツがある。とくに季語に拘ることはなく、自由に心の内を表現できるもので、今風のsnsのように詠まれていたようである。実際に詠もうとすると5,7,5,7,7と一つにまとめる形にするのは、結構難しいというのが実感ではあるが。