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 生活の知恵

1.おばあちゃんの生活の知恵
 人々が長い暮らしの中で培ってきたのが生活の知恵である。ものを大事に使う、節約をする、残すといったところにその工夫が随所に見られるものだ。
 卑近な例を引けば、これはネットで調べたものだが、おばあちゃんの知恵というサイトがある。その中から一つだけ示すとしよう。
 おばあちゃんと言うくらいだから、長い生活の中から生まれた知恵といえるだろうが「日本手拭(手ぬぐい)はその昔、旅には欠かせない七つ道具のひとつでした。手や体を拭く以外にも、風呂敷のように物を包むことができるほか、頭巾やマスク、紐、包帯など、さまざまな用途があることから、二本以上は持ち歩くことが常識だったそうです」といった投稿がある 。
 これなどを読むと「なるほどな」と思うところがある。こうした生活の知恵は、日本人らしい日本独自の知恵と言ってもいいだろう。日本では生活文化としてして根付いてきたもので、あらゆる場面で見ることができる。これらの知恵は農業や漁業を生業としてきた日本独特の気候風土によって生まれたものが多いが、その文化としての暮らしの知恵は、先の大戦による欧米主義への過度な転換により、その多くが途絶えてしまった。
 例えばおばあちゃんの知恵などというものは、その古き良き時代とも言える日本人が日本人らしく生きた時代の名残りと言ってもいいだろう。
 先ず生活の知恵を伝統的(歴史的)に明らかにするために、なぜそれらが消えていく運命に晒されたかについて調べてみた。
 これは「持続可能な社会形成に役立つ日本の伝統的知恵の発掘とその国際貢献のための研究第二次報告書」という名の長い論文の中から拾い出したものである。
 「日本国民にとって初めての体験であるこの敗戦は、日本中を未経験の状況に押し込めたが、ただでさえ『舶来信仰』 の強い日本人が、敗戦後の復興に当たり、新しいものの導入に躍起になる一方で、それまで持っていた価値の多くを、古いものと見なし否定するに至ってしまったことも、ある意味では自然の成り行きであったのかもしれない」という言葉に代表される。これは日本人の持つ順応性というか『舶来信仰』的要素の強さも大きな要因となっている。 

2.伝統的生活の知恵
 明治6年まで日本人は旧暦(太陰暦)の世界で生活していた。古くから伝わる日本人の生活の知恵も又この旧暦に負うところが多く、陰暦は人々の生活の指針だったのである。
 陰暦には立春などの「二十四節気」や入梅などの「雑節」が記載されており、これらが生活の目安となり、暦を調べて農作業の計画を立てたりしたという。今も生きている 天気俚諺(てんきりげん)や観天望気(かんてんぼうき)は暦から発している。一例を上げると次のような諺(春の部)がある。これも生活の知恵と言えよう。
 「日がさ月がさ出ると雨」という諺がある。これは昼間太陽の周辺や夜月の周りに、薄白色~薄黄色の光の輪ができることがあり、この雲の種類は巻雲や巻層雲といい、最も高度が高い部類に入る雲で太陽や月の前面に薄く覆いかかるように現れれる。 低気圧の進行方向の前面に現れ、低気圧の中心までは距離700から800キロメートルぐらいある。 低気圧の進行速度が時速30キロとすると、早ければ23時間ぐらいで中心が通過するので、その少し前から雨が降り始まる。これなどは天気予報のようなものである。
 この種の俚諺(りげん:諺)は暦に従って季節ごとにいろいろあり「雪は豊年のしるし」とか「朝焼けは雨・夕焼けは晴れ」などを上げることができる。
 年中行事や風習にも、調べてみると生活の知恵が生かされているものが多い。これも一例を上げてみる。
「人日の節句」は、五節句の一つで1月7日。 七草がゆを食べることから七草の節句ともいう。七草がゆは有名なのでみな知っていると思うが、正月に雑煮を食べ過ぎて酸性体質になったのを、青物を補給して中和させるわけで、理に叶っている。これも長い生活習慣の中から生まれた、生活の知恵の言うことができるだろう。
 
3.占いにまつわる生活の知恵
 卜占(ぼくせん)は占いのことであるが、なぜこれが生活の知恵になるのだろうか。いまでこそ文化や文明の発達によって消え去ってしまったかに見えるが、いまなお日常生活の中に息づいているものも少なくない。
 人には未知の世界である前兆を知ること(今の科学でも未解明の部分が沢山ある)は関心のあることだ。
 そうした前兆を知らせる才に長けた人を巫女や行者など卜占者と呼び、かつては職業化していた。
 前兆は日常生活を中心に考えられる。農耕漁労などの生活に関係深い天候の良し悪しをはじめ作物の豊凶、また出産、健康、長寿など、生死にまつわる前兆が多く言われ、人々の生活を律してきたものである。
 前回でも紹介したように、天気を読むということは、農耕生活に深く関係があるもので、長い経験の蓄積の上に成り立つものである。卜占者はこうした経験をもとに『ご託宣』のごとく語ることで、発言に重みを持たせている。
 暦の知識や自然現象の知識に長けていると、より信頼性が強まる。特に天候に関する占いは「当たらずとも遠からず」という諺に当たる。
 「日本を知る事典」から種まきの時期に関して次のような記述がある「農作業の目安として、『種蒔き桜』 の例を上げると、花が咲く時が苗代に籾をおろす目安になる桜のことを桜の種類で種蒔桜とする場合と、特定の場所に立つ桜の古木を指すことがある。桜以外でも秋田県や岩手県では辛夷(コブシ)の花を種蒔桜と呼ぶところもある。また、山の残雪の形に、種蒔坊主、豆撒小僧などの名をつけて農暦とする地方も多い」のようにこれらは意外に科学的な前兆の活用といえる。
 身体の変調を何かの兆しと見る例も多い。これも同事典から「くしゃみの回数で『一ほめ、ニにくまれ、三ほめられて、四風邪をひく』などは何となく一理あるような言い回しも多い」といったように、古来より日本人は、前兆によって先を読む生活の知恵も持っている。
 
4.「言い伝え(諺)」に基づく生活の知恵
 日本に古くからある言い伝えや諺(ことわざ)のなかには、私たちの暮らしや健康を守るための知恵がたくさん隠されている。 現代の世のように、まだ医学が発達していない頃から言い伝えられている、先人たちの知恵を紹介する。第2項に紹介した「雪は豊年のしるし」などの類である。まず「いい暮らしナビ」からピックアップすると、以下のような言い伝えがある。
『食べてすぐに寝ると牛になる』
 食後すぐに寝てしまうと緊張感がなくなり動く気力がなくなるため、牛のように怠け者になってしまう、という言い伝え。 もともとは子どものしつけのためにこう言われるようになったようだ。 しかし健康面のことを言うと「親が死んでも食休み」という言い伝えがあるように、食後すぐに動くよりは少し休んでから活動するのが体にいいからだろう。
『番茶梅干し医者いらず』
 梅干しと醤油を練ったものに番茶を注いで飲むと風邪によく効く。
 朝食時なら食欲がわくだけでなく、消化もよくなるそうだ。お茶のカテキンの殺菌効果は感染症の予防にも良い。
『西の空が晴れていると明日は天気』
 日本の気圧配置は基本的に西高東低であるため、天気を判断する際は西の空を見る。
『つばめが低く飛んだら雨』
 つばめの運ぶエサである虫の羽が湿気を含んで重くなるので、実際に低く飛ぶとことから。
『三里四方の野菜を食べろ』
 三里四方とは半径12キロメートルのこと。身近で採れた新鮮な野菜を食べましょうという意味で、ファストフードに頼りがちな現代に生きる私たちは、なおさら意識すると良い。 野菜は時間が経つと鮮度が下がるが忙しい方はせめて地産地消の季節の野菜を取り入れることをこころがけてみてはいかが。
 次に『天草俚諺集』から 自然(気象)現象の変化についての俚諺を少し紹介する。
『秋の夕日は釣瓶落し』 (落日:日没が早い)
『東風焼けは雨の前ぶれ』 (雨前には東風焼けになる)
『地震の時は竹薮に逃げろ』 (地割れの心配なし)
 など数え上げるとキリがない。このように昔からの言い伝えには、長い生活の中で学んだ生活の知恵が生きているものだ。

5.食べ合わせに関する生活の知恵
 人は生きていくためには食べなければならない。 そんな中で「これとあれは一緒に食べてはいけない」という、「食べ合わせ(食い合わせ)」のタブーがいつしか生まれた。それも人が長い食生活の中で学んだ知恵(伝承)の一つだろう。
 今回は全部は紹介しきれないが、いくつかの「科学的根拠のある相性の悪い食い合わせ」について例を上げてみた。
『力二と柿』
 蟹はビタミンB1・B2が多く、栄養の代謝を良くするといった一面を持つが、傷みやすいといった面も持っている。傷みやすい蟹と、消化の悪い柿の組み合わせ。蟹も柿も体を冷やすため、一緒に食べるとダブルパンチで身体を冷やす。冷え性の人は症状が重くなるので、注意が必要だ。また、この組み合わせは、山の幸と海の幸の組み合わせでもある。昔は両方を一緒に食べようとすると、食材を調達するまでに時間が要して、どちらかが傷んでしまうことがあったため、食中毒になったという戒めでもあるそうだ。
『酒とからし』
 酒と同様に辛子などの辛いものも血行を促すためかゆみが出てしまう可能性がある。蕁麻疹(じんましん)や湿疹が出やすい人は、注意喚起。高血圧、糖尿病、高コレステロールなどの生活習慣病も助長するという。
『ざるそばに豚肉』
 ビタミンB1が豊富な豚肉は、体や脳の働きを活発にするが、体を冷やす作用も。冷たい蕎麦との食べ合わせは胃を冷やし、栄養素や有効成分の吸収を妨げるところから相性が悪いとされている。
『ウナギと梅干し』
 これは結構知れ渡っている食い合わせの悪い代表例だ。鰻の脂と梅干しの強い酸味が刺激し合い、消化不良を起こすという説が有力。実際には酸味が脂の消化を助けるため、味覚も含めて相性の良い食材である。ただし、胃腸が弱っているときは、脂分と酸味の強い食べ物を多量に摂らないようにするのが大人の作法とされている。
『てんぷらとスイカ』 
 これも有名な一つ。油の多い天麩羅と、水分の多い西瓜を一緒に食べると、胃液が薄まり、消化不良を起こすことがある。胃腸の弱い人、特に下痢気味の人は、避けたほうが無難。腹痛の波が大荒れになってしまう。
『かぼちゃとみかん』
 これもありそうな一つだ。みかんの食べ過ぎでも指摘されることだが、この両方を組み合わせるとカロチンの過剰摂取になり、身体が黄色くなり、酷くなると腎臓を傷めることもあるので、食べ合わせには注意が必要だ。
『キュウリとトマト』
 これもよくありそうなパターンだ。キュウリに含まれるアスコルビナーゼという酵素がトマトなどのビタミンCを破壊してしまう。ただし、キュウリを酢の物にしたり、漬け物にしたりすれば、酵素の働きを抑制してくれる。
 まだまだいっぱいあるが、この話はここまでとする。

6.おばあちゃんの生活の知恵(台所編)
 生活の知恵、今回はおばあちゃんの知恵からその内のひとつを紹介する。
 おばあちゃんというところから、想像がつくように、長い主婦生活の中で生まれた現代版生活の知恵で、エコで節約にもなる、暮らしの中で十分生きているものである。
 今回選んだのは台所周りの掃除のほんいくつか。
『台所の掃除方法の主役は重曹と酢』
 台所を掃除するときに困った汚れの原因は、油汚れと水垢やぬめりで、頑固にこびりついた時は、台所掃除用の専用洗剤でないと、なかなか落とすことができない。
 油汚れにはアルカリ洗剤や、水垢やぬめりには塩素系の漂白剤というように台所の汚れによって使い分けられる。
 しかし、強力な台所掃除用洗剤を使うのはちょっと抵抗があるものだ。そこで登場するのが、重曹と酢で、頑固な汚れでないという条件がつきだが(まめに掃除すれば頑固な汚れは付かない)、油汚れには重曹、水垢やぬめりには酢が使える。重曹や酢は料理以外にも色々な使い方があるものだ。
 汚れたからといってクレンザーやスチールタワシなどで磨き洗いをすれば、大事な台所のステンレスに傷がついていまう。傷をつけずにきれいに汚れを落とすには小麦粉と酢が便利。小麦粉に酢を混ぜ合わせ、ペースト状になったものをスポンジにつけて台所のステンレスを磨けば、汚れをとってくれる。ステンレスの光沢がなくなってきた場合は大根の切れ端で磨いた後、レモンの皮で磨いてやるとピカピカになる。
『換気扇の汚れは灯油で落とす』
 換気扇の掃除にも、重曹が使える。大さじ2杯の重曹と、500mlのぬるま湯を入れて混ぜ合わせた重曹水をスプレーし、拭きとろう。フィルターは、重曹を溶かした液につけ込んで、磨くとよい。
 また頑固な汚れは通常の洗剤ではなかなか落とすことができないが、灯油が使えることをしっているだろうか。換気扇の油汚れを油で落とすとは何とも不思議な話だが、実によく汚れを落としてくれる。ぼろ布に灯油をしみこませ拭いてゆくだけで、おもしろいように汚れが落ちる。
『水道蛇口は重曹で』
 水道の蛇口がくすんでしまって光沢がないと、せっかくきれいに掃除したキッチンも台無し。水道の蛇口付近は、水道水に含まれる鉱物が固化したスケールと呼ばれる汚れの付着が一番やっかいだ。この汚れは通常の洗剤では落とすことが困難なので、スケールを取るには重曹を使う。水で湿らした重曹をふりかけ磨いてやると、見違えるほどの光沢がよみがえりる。さらに重曹で磨いた後、酢で湿らせてやると、重曹のアルカリ分を中和してくれ、抗菌効果が期待できる。(参考文献の「おばちゃん知恵袋大事典:宝島社」には2000例ほどが記載されている)
 次回は生活の知恵をどう生かし育んでいくかについて考え、この話題の結びとしたい。

7.生活の知恵を育もう
 今まで日本人が長い暮らしの中で培ってきた生活の知恵について見てきたが、締めくくりとして、これから日本人は如何にして伝承されてきた固有の生活の知恵を、更に深めて新しい時代に引き継がれるようにして行くかについて考えてみる。
 日本人はずっと昔から、古いものを使う工夫や、今あるモノを生かすことに独特の知恵を働かせてきた。この日本人の才覚はどの国も認めることだろう。一方、新しい革新的変化を生み出す能力には力不足の感は否めない。英語で技術革新をイノベーションと言い、再活用をリノベーションと言う。
 後者に関しては実証済みだが、前者については世界の最先端をいっているとは言い難いというのが現状だ。
 振り返って考えると、匠の技は際立っている人間が、新技術を生み出せないわけはないはずだ。全ては基礎技術の上に成り立ってると言うことは誰もが認めることだと思う。
 例えてみれば、一流の野球選手は自分の時間を遊ぶことより身体を鍛えることに振り向けるという。長いペナントレースに生き残るためには並みの体力では間に合わない。彼らは口を揃えて「練習また練習を続ける」という。これが示すように技術革新もまた単なるアイデアだけでなく、そのベースになる基礎体力のようなものが欠かせないのではないかと思う。
 今まで述べてきたように、日本人にはその基礎体力が備わっている。そこにどのような知恵を加えれば進化したモノが生まれるのだろうか。人は容易に振り返ることはできるが、先を見通すことは極めて難しい。しかし、試行錯誤の末にしかイノベーションは生まれないだろう。
 前にも記したが、「江戸庶民は多くの制約や、モノが不足する中で、心豊かな日々の生活を送っていた。お互いが助け合うことを厭わず、その知恵と工夫でたくましく生き抜いた」と歴史は語っている。
 現代はIT社会の真っ只中にある。この現象がもたらすのは、個の重視で自分一人で生きていけるという錯覚を、特に若い人にもたらしているようだ(悟り世代」などと名付けた人いる)。
 人はその文字が示すように支えあって生きていく動物である。このままでは心の通わない人工知能が人を支配する暗い未来しか見えてこない。
 今一度立ち止まって人との結びつきを大切にし、心豊かな世界を取り戻すことが、伝統的持続的生活の知恵を21世紀に生かすことに通じる当面の課題だと思う。(21017.7.14)







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